臨死体験の先で考える今を生きること

偶然の連鎖

 二十五才の時、死にかけました。自動車による自損事故でした。頭蓋骨が割れ、腰の骨をおり、瀕死の状態となりました。

 今から思えば、一つ一つの人々の善意が次へと繋がり、私の命を繋げてくれました。どこかで、誰かがそこにいなければ、その一連の連鎖は繋がることなく、私の命はそこで途切れていました。つまり、結婚することもなく、私の三人の子どもたちも、この世に生まれていませんでした。

 事故は夜中の三時に起きました。交通量の多い通りでたまたま目撃した方が、救急車を呼んでくれました。そして、現場からそう遠くない場所に、二十四時間体制の救急病院があり、直ちに受け入れてくれました。受け入れ先がなく、断られることもあると聞きますので、実に運が良かったと思います。現場のすぐ近くで、かつすぐに受け入れてもらえたことが、その後の速やかな処置につながりました。

 その晩、たまたま深夜まで残っていた脳外科の医師が、帰宅直前だったところに運び込まれたのが、またその次の幸運です。

 頭蓋骨の骨折でしたので、脳外科医でなければ対処できない状態でした。後に伺ったところ、本当にたまたまその晩だけ、宿直でもないのに、深夜三時まで残っていたそうです。だから、私はとても運が良いと。ですから、その晩は私のために手術をすることとなり、完全な徹夜になってしまったようです。

 初めに私の状況を見た別の医師は、私の滑舌が悪かったので、飲酒運転かと思ったそうです。私はお酒を飲んでいませんでしたが、ろれつが回っていなかったので、飲酒していたように見えたと、意識が戻った後、そう、話してくれました。

 しかし、その脳外科の医師は頭部内部の出血に気付き、すぐに手術が必要との診断をしました。その判断のおかげで私は命を繋ぐことが出来ました。

 手術のためには、親族の同意が必要です。夜中の三時半過ぎに鳴った電話を母が取ったのが、またその次の幸運です。旅行中であったり、非常識な電話だと思って、そのまま寝ていれば、手術は出来なかったことでしょう。

 病院も七、八キロほど離れた、そう遠くない場所でしたから、すぐに病院へ駆けつけ、手術の同意書に署名をすることが出来ました。あと少し遅ければ、間に合わなかったことでしょう。

 すぐに緊急手術となりましたが、数時間にも及ぶ手術であったと聞いています。その前後、断片的な記憶が残っています。救急隊員や、医師と会話を交わした事を、ところどころ、わずかながらに覚えています。

 そして、手術後、二日近くの間、私はどこか違う世界を彷徨っていました。

 この時のことを振り返ると、人は無意識の内に運命を予感していると、思わずにはいられません。

 本人に内緒で周りの人たちがお祝いの準備をする時のように、運命的な出来事にも、何処か似ているところがあるように思います。どこか見えないところで、着々と準備が進められ、ある時突然それが目の前に現れる。

 事故とお祝いを一緒に考えるなんて、おかしいと思われるかもしれません。しかし、全てはその人の成長のために、用意された出来事であるとすれば、それはお祝いの準備と同じようなイベントと言えるかもしれません。

 このような運命的な出来事は、後から思い返すと、事前にいろいろな予兆が現れていたことに気付きます。それも、後から振り返る時のために、マーカーとなる予兆を残してくれているのでしょうか。

 日頃から空をよく見る人であれば、雲の動き、雲の形、風の匂い、湿度などで、雨が降り出しそうなことがわかります。普段、そのようなことに気を止めない人であれば、突然雨が降ってきたと驚きます。

 運命も天気に似ています。日頃から、周りの空気の変化、人の反応の変化、頭に浮かんでくる想い、などに注意を払っていると、自分に起きる出来事を胸騒ぎとして感じます。

 しかし、その胸騒ぎが、一体何を示すのか。それは、その胸騒ぎが現実化するまでは、なかなかわからないものです。

 ベートーベン交響曲第五番運命。この曲の冒頭は、あまりにも有名です。運命的な出来事が起きる時というのはまさにこのオープニングと同様。運命が扉を叩く。激しく。

 人が死に直面した時、どのような心理的な変化が起きるのか。どのような体験をするのか。垣間見えた「死」とはどのようなものであったか。そしてどのように人は変わるのか。私が体験した、臨死の世界を、お見せしようと思います。