有栖川豪の日記 Just do it !

よく考えたあとは、やってみよう、うごいてみよう

中山道 鳥居本宿(彦根)ー赤坂(大垣)鉄道移動 39K

 旅に病で 夢は枯野を かけ廻る 

 

 朝、目が覚める。今日は良くなっているのではないか。そう思い、起き上がろうとする。しかしその瞬間、激痛とともに、昨日の続きの今日があることを思い知る。昨日の続きが今日で、今日の続きが明日。毎日が継続的に繋がり、過去が未来へと繋がっていく。過去は生まれてからそれまでの蓄積で、未来はこれからの行動で変わっていく。蓄積された腰への負担を解消するため、今日一日を帰京前、最後の一日とする。

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 彦根から大垣まで鉄道でおよそ三十分。歩くと四十キロ以上ある。朝七時に出ても、夜暗くなってからの到着となる。それほどの距離を、三十分、窓の外を見ながら、お殿様のように座って移動する。

 米原から琵琶湖を離れ、美濃方面へと鉄道は分岐する。それほど深くはない山間を列車は抜けていく。中山道と思わしき道筋が、レールと並行して流れていく。相変わらず人は歩いていない。

 東海道とは異なり、人里離れた野原を道はくねりゆく。時折鉄道と交差しながら、線路の右へ、左へ、中山道は走る。宿場のあった町の近くには、駅が設けられ、数人を乗せてまた発車する。

 乗車してきた人が、車窓の眺めを遮断する。窓のスクリーンを躊躇なく下ろす。見慣れきった風景は、手元のスマホの操作にとっては、邪魔なだけだ。すぐ目の前に、美しく秋色に彩られた山々が、吸い込まれそうな青い空に広がっている。しかし、手元のスマホの中の世界で、その人は全世界の人々と繋がっている。 目に映る世界は、スマホのスクリーンの中。人は見たい景色を見る。株式市場の相場の下落が続いている。ラインの返信を見ているのか。窓の外には、美しい風景が見られぬまま、無為に流れていく。

 やがて列車は、関が原に差し掛かる。そこから先はまた視界がひらけていく。山が徐々に遠ざかる。遮断されたスクリーンの外側の景色が、いつもの日本の見慣れた日常へと変わっていく。しかし、この景色も、異国からの旅行者にとっては、私にとっての山間の風景と同じ意味合いを持つ。

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 大垣は駅の南に城と城下町が広がる。大垣駅のすぐ北側には巨大なショッピングモールが広がる。宿泊先のホテルは、ショッピングモールの道を挟んですぐ向かいにある。

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 荷物を預けて、大垣城を目指す。関ヶ原の戦いで、当初石田三成が籠城を検討していた城だ。家康は北へ三キロほどの赤坂の宿あたりに陣取る。赤坂は中山道。大垣は分岐した美濃路の宿となる。

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 天守閣へ上ると、遠く関ヶ原まで見渡せる。今は周囲に高いビルが建ち並び、景色も遮られるが、当時は見渡す限り緑の平野が見えていたことだろう。三成は夜分に大垣城を出て、関ヶ原の南側へ大きく迂回しながら家康の行く手を遮る形で回り込む。家康はゆっくりと関ヶ原方面へ真正面から中山道に沿って隊を進める。大垣城天守閣へ上ると、今やビルの立ち並ぶその風景に大軍が陣取る当時の陣形が重なる。

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 大垣城から南西方面へ少し降りたところに、奥の細道むすびの地記念館がある。松尾芭蕉は、ここ大垣で奥の細道の旅を終えた。江戸深川の家を売り、奥州、北陸を経て、最後は大垣へ。

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 日本橋から東海道を歩きはじめ、京の都から中山道沿いに、大垣まで。道中いたる所で芭蕉の句碑を目にし、義仲寺に眠る芭蕉の墓前を二度通り、最後は奥の細道の結びの地大垣へ。次回、中山道を目標にし、その後は奥州路にも足を向けてみたい。

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 腰痛がなければ、大垣で時間をとることもなく、記念館に立ち寄ることもなく、芭蕉の足跡を事細かに知ることも出来無かったと思う。そのようなことを考えると、今回の東海道五十三次から続く、一連の旅のむすびの地が、ここ大垣となったことは、偶然とはいえ感慨深い。

 またいつか、この大垣を訪ねることにしたいと考え、今回の旅を終えた。

 

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中山道 守山ー武佐(近江八幡)ー鳥居本宿(彦根)33K 鉄道移動

 岡崎から名古屋の熱田神社まで、台風が来ていたため、ペースを上げて進んだ結果、腰痛になってしまった。その後の八日間、無理をして歩き続けてきたが、とうとう限界が来た。五十三次を歩き始める前、毎日十キロ、歩数にして一万数千歩は日々歩いていた。なので、運動不足ということではなかったと思う。しかし、結果的に腰痛が起き、帰路の中山道歩きは次回に持ち越しとなった。

 背中に背負ったザックをどうにかしないと、東京までも帰れないので、キャスター付きのバッグを探すことにした。幸い、守山の先、近江八幡駅前にイオンなどの入る大規模ショッピングモールがあるので、そこへ立ち寄ることにした。

 電車で移動するのであれば、安土城にも寄りたいところだが、駅から離れたところに城も博物館も建つ。腰痛の酷くなった今となっては、荷物を持ってそこまで歩くことは無理だ。

 子供たちがまだ小学生だった頃、車で東京からの日帰りで、往復千キロ運転して来たことがある。あれから十数年。もはや千キロを日帰りで運転する気力はないが、当時はまだ三十代。午前二時に東京を出て、東名高速で琵琶湖までやってきた。安土城天守閣まで上り、博物館に立ち寄り、姉川の古戦場、長浜城を見学して、最後関ヶ原石田三成の陣営まで見に行った。そこから帰路、中央高速で東京まで帰った。東京到着は午前四時。二十六時間の旅だった。昔はそのようなことをしても平気だった。

 しかし、年を取るということは実に哀しい。そのような若い頃の感覚だけは残っているので、同じような気持ちで動いてしまう。しかし、確実に体は衰えている。今回それを思い知った。

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 近江八幡駅前にあるイオンで、キャスター付きのミニトランクを買った。四輪タイプだ。十八リットルと小さいが、トランクタイプとしては最小のものではないか。腰が痛くなると、年を取った時にどの様になるかが良くわかる。十年ほど前に購入した自宅にあるトランクは、二輪のもの。これだと、体重を預けることが出来ない。しかし、四輪のトランクだと自立してくれる。従って、ある程度自分の体重を乗せることができる。つまり杖の代わりにもなる。

 街で老齢の方が使用しているキャスター付きバッグをよく見てみよう。四輪で自立しているはずだ。二輪のものはまずない。母が四輪のキャスター付きキャリーバッグを購入して、しきりにその効用を話していた。なので、迷わず四輪小型のトランクを選んだ。セール中のものだと四千円くらいからあるが、私は、バッグメーカーとして、定評のあるエース社製のものにした。トランクはキャスターが壊れたら終わりだ。とにかく転がせなくなったトランクほど困るものはない。九千円近くしたが、今後も使えるものを、と考えて、しっかりとしたものを購入した。旅先でこのような思いをした時に買ったものは、その後、思い出の品として、家に残ることが多い。私もこのトランクを目にする度に、この苦しい腰の痛みを思い出し、反省することになるのだと思う。

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 守山から近江八幡まで、列車ではわずかに十二分。そこから彦根までは十二分。三十分もかからずに、次の目的地の彦根についた。三十数キロあるので歩けば八時間はかかる。朝八時に出発して、休憩を取りながら、午後五時頃ようやく彦根に到着するほどの距離だ。鉄道がここ百年ほどの間に、いかに人々の生活を変えたのか。実感する。

 東海道と異なり、中山道沿いのホテルは数が少なく、当日キャンセル無料のところが選びにくい。東京へ帰るにしても、次の大垣まではキャンセル料がかかってしまう。なので、そこまでは、鉄道に切り替えて旅を続けることにした。

 四輪キャスター付きのトランクは実に楽だ。背中から荷物が開放されるだけではなく、杖の代わりにもなる。すべての体重を乗せる訳にはいかないが、四分の一くらいは体重を預けられるような感じがする。思い返せば四日市駅前で、軽いザックに買い替えた時に、ちらりとキャスター付きのバッグが思い浮かんだ。しかし、その後の百四十キロの徒歩移動には、さすがに耐えられなかったのではないか。もしもそれをするのであれば、自転車に荷物を載せて、引いて歩くというのも良いかとも考えた。しかし、引いている意味がわからなくなり、きっと乗りたくなる。まだ痛みに耐えられるレベルだったので、結局軽量ザックに変えて歩き続けることにした。

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 ホテルのチェックインは午後四時からなので、荷物を預けて彦根城へ行くことにした。彦根徳川四天王の井伊家が治めてきた。豊臣時代は佐和山城石田三成がいた。尾張関ヶ原方面と北陸方面に分岐する交通の要所だ。実際、鉄道も次の米原で北陸と美濃方面とに分かれる。

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 彦根城のある琵琶湖側は、以前と変わらぬ町並みだ。ほぼ前回子供たちを連れてきたときと変わっていない。しかし、反対側の景色は大きく変わっていた。当時は駅前に出来たばかりのコンフォートホテルがあるだけだった。今回その周りの空き地にロードサイドでよく見かける大型の店舗。その裏手の街道筋にはイオンタウンが建っていた。

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 古い町並みの商店街とロードサイドに建つ大型ショッピングモールは対照的だ。古い町並みと言っても、それは江戸や中世の町並みということではなく、昭和の高度成長時代の面影を残す町並みということだ。一方大型のショッピングモールは、イオン、ららぽーとのような広い敷地と大きな建物で出来た店内に、多様な業種を集約した施設。個人商店が横一列に並ぶ個性豊かな人々の織りなす店舗と、日本全国どこへ行っても均一同一な商品が手に入るショッピングモール。どちらが見て楽しいかといえば、個人商店だが、一方でオーナー側で工夫がないと、ただただ古臭い欲しくないものだけが並ぶ商店街となる。

 街道歩きをしていると、必然的にこの諸行無常を考えることに至る。結局の所、古い町並みはそこに暮らしている人々の衰えとともに廃れていく。当初は若者ばかりが集まっていたショッピングモールも、やがて若者がおじさんとなる頃、街に無くてはならない広場となる。

 日本全国均一な商品構成は、都市の流行りに敏感な若年層にとっては、薄くしかし広範に広まるリアルな都市部の流行商品情報を実感できる唯一の場所となる。一方の商店街は後継者がなく、商店主の年令とともに感覚が古びて、商店主の若かりし時代の定番商品の供給を継続したあと、やがて終焉する。

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 大型ショッピングモールの裏手に、中山道鳥居本宿がある。近江鉄道に乗ってひと駅、訪れてみた。駅前には県道が走り、ひっきりなしに車が流れている。今も交通の要所であることがよく分かる。そこからわずかに百メートル。通り一つ中に入ると、昔ながらの中山道が南北に走っている。宿の構成はどこも同じだ。日本中のイオンモールららぽーとが同じ構成であるのと同様、本陣があり、脇本陣があり、旅籠があり、旅人のためのお店が並ぶ。しかし、今や誰も歩いていない。車も通っていない、人も住んでいないのではないか。気配のない家々が続く。

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 江戸の時代から百五十年。鉄道の時代から自動車の時代と二度大きな変化に見舞われている。そしていまやインターネットによる変化の波が、世界中に行き渡った。

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 鉄道が宿場に与えた影響は大きかった。街の中心が駅に移った。そして、自動車の普及が幅の狭い宿を避けたところに新しい人の流れを作った。鉄道の駅を中心とした人の流れが、国道、県道の車の流れを中心とした人の流れに変わった。そして今、どこにも存在しないバーチャルな空間上で、人々は行動を始め、その情報の影響によって、リアルな世界が変容するように変わってきている。

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 近江鉄道の車両が、どこか懐かしさを感じさせると思ったら、私が子供の頃よく乗っていた、西武鉄道の車両を使用していた。鳥居本の駅に滑り込む車両は、まるで西武新宿線の萩山あたりの光景と重なる。

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 古くなったからと言って、すべてのものが不要になるわけではない。古いものにはまたそれを活かす場所がある。かつて西武線として使われていた車両に乗り、彦根の駅に向かいながら、そんな事を考えていた。

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中山道 歩く 京都ー草津ー守山 32k

   帰りの初日は東海道を遡り、草津にある中山道との分岐を越えた一つ目の宿場の守山まで歩いた。

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    腰を痛めて一週間になる。毎日重い荷物を背負って歩くので、治る要素がない。続けてあとで腰が立たなくなるのも困る。

    京都からの帰りは体も慣れてスピードアップできると考えていたが、そうはなっていない。街を歩いていると、大勢の人に抜かれていく。速度も時速四キロがやっとだ。疲れて少し休むともう四キロ台もキープ出来ない。帰りは電車と歩きの併用で、進むことになるかもしれない。

    守山宿のあった守山駅前のホテルにチェックインをして、背中の荷物を降ろしたら、もう動くことができなくなってしまった。椅子に座っても、立っても、横になっても、これを書いていても痛い。岡崎から熱田神宮へ向かった時、調子よく走ったのが最後で、もう一週間腰痛に悩まされている。背中に荷物を背負って毎日三十キロも歩いていたら、治らないのは理屈の上では当然だ。中山道を歩いて帰るのは諦めるしかないか、という判断に傾いている。何しろトイレに行けない。段差が乗り越えられない。にも関わらず、歩くことは出来る。ただ負担はかかっているので、荷物を下ろしたり、一度座るともう立てない。

   しかし、東京まで帰らなくてはならない。どうせ帰るなら、少し様子を見て帰りたい。ただそれも体の調子次第だ。ホテルの予約のキャンセルをしなければならないが、体の調子と相談することにした。

    まずは次の目的地、彦根に列車で向かうことにする。

 

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歩く 東海道と中山道の違い

    本日は京の都を離れる前日ということで、一日の休息。でも、中山道を歩くのであれば、和宮さんの住んでいたところを見ておきたい、ということで、京都御苑へ行ってきた。

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    皇女和宮が許婚の有栖川熾仁親王との婚約を解消して、十四代将軍徳川家茂との結婚のために江戸へ向かった道が中山道東海道は確かに大井川に限らず、やたらと川があり、都度渡しを使わなければならないので、かなり大変。一行の行列は五キロにも及んだそうなので、そんな人たちで川を越すのはどんなに大変なことだろう。なので、東海道を通った実感として、中山道を選ぶことはわかる。

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    ただ、中山道は、かなりの山道だ。長野から東京側しかわからないが、和田峠碓氷峠も結構な山道だ。トレッキングシューズを履いて歩くコースなのに、そこでカゴを担いで歩いたわけだからかなり大変だ。なので道中通りやすいように道まで新しく作ったりしている。

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   一方、山好きの私としては、とても楽しみでもある。延々と民家の間を歩き続けるのは、実につまらない。山の中だとそれ自身が楽しみになる。ただ、今回の装備は山向きのものでは無い。東海道を前提に荷物を作ってきたので、無理はしないつもりだ。危険を感じる時は、回避して一般道を行こうと思う。

    トレッキングシューズを最初履いていたが、アスファルトを歩くことがほとんどなので、結局ジョギングシューズに変えてしまった。また変えたとしても、同じ問題と別の問題がそれぞれ起きるだけだ。

    プロジェクトの成功は事前準備にかかっている。そうした意味では、東海道である程度の準備はした。しかしながら、中山道特有の事情は事前にはわからず。出たとこ勝負となる。

   

 

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歩く 東海道五十三次の帰り道は中山道?

    京都から帰りの新幹線の予約はしていたものの、歩いてきたのに、新幹線で帰るのはどうかと、心の中に沸き起こる疑問の声。昔の人は、京都見物を終えたあとは、また、同じ道を帰ったはず。

    旅とは、その目的地にたどり着くことがゴールなわけではなく、その過程全てが旅。であれば、帰り道にも工夫があって然るべき。なので、帰りも歩いて帰りたい。

   となると帰りは中山道

    中山道東海道に比べれば、難易度ははるかに高くなる。まず距離が長い。東海道と異なり、山間部を通るので、本当の山歩きが間に入る。そして、一番の問題は宿がないこと。東海道は物流の流れが活発な地域ばかり。しかし、中山道はそのほとんどが、観光を生業としている地域。往きはビジネスホテルを中心に安く四千円前後で泊まり歩くことができたが、観光目的の旅のお宿に泊まるとなると、一万円近くする。また、ビジネスホテルと異なり、洗濯機や風呂など自由なプライベートスペースがないところも多く、使い勝手も悪い。

    今一番の問題は雨対策。ジョギングシューズにしたので、雨が降ると靴の中はぐしょぐしょ。そこで七千円もしたが、防水靴下とやらを買ってみた。靴がダメなら靴下で足を守るというやつだ。往きで靴下一足に穴が開いたので、果たして、防水靴下がどれほど持つか。モンベル製なので信頼はしているが。雨が降る時だけ履く。

    最初ガムテープをべたべた靴に貼って歩いたのだが、あとで剥がしてみると、白い接着剤が靴の表面に貼り付いて剥がれない。なので、やたらと見た目が汚い。さらに途中でバリバリ剥がれる。お店で靴も見てみたが、防水のジョギングシューズというものがこの世に無い。ソールの柔らかいトレッキングシューズも無い。両方兼ね揃えたものが無い。なので、防水靴下にかけてみることにした。

    あと、ビジネスホテルが使えないということは、現金払いが増えるということ。キャッシュレスが進まない話がメディアでよく取り上げられているけれど、税金の取り方に関係してくるから、小さな規模で商売している人は、現金がやはり嬉しいはず。コンビニさえあればお金がおろせるけれど、木曽山中はコンビニどころかお店も無いそうなので、岐阜あたりでお金を工面しておかないと困るかも。

    とにかく行ってみないと、やってみないと、実際のところはわからない。

 

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東海道五十三次 歩く Day19 京都

    台風が来ているので、天気が目まぐるしく変わった。京都御所京都市歴史資料館、新島襄旧邸、二条城と歩いた。そういえば、十八日ぶりに地下鉄に乗った。楽で良い。

f:id:arisugawag:20181006215416j:image京都御所
f:id:arisugawag:20181006215441j:image入門証
f:id:arisugawag:20181006215423j:image御所庭園
f:id:arisugawag:20181006215405j:image御所庭園
f:id:arisugawag:20181006215429j:image猿が辻  御所の鬼門
f:id:arisugawag:20181006215355j:image御所東側
f:id:arisugawag:20181006215413j:image皇女和宮の生家。

生まれてから十四年をここで過ごした。向かいは御所。許嫁の有栖川熾仁親王の住まいは御所南門の前。徒歩五分の距離。
f:id:arisugawag:20181006215347j:image和宮の生家から南を見渡す
f:id:arisugawag:20181006215400j:image和宮の生家のすぐ隣が、学習院発祥の地
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f:id:arisugawag:20181006215432j:image御所南の門
f:id:arisugawag:20181006215425j:image九条邸跡
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f:id:arisugawag:20181006215447j:image京都市歴史資料館
f:id:arisugawag:20181006215350j:image新島襄旧邸
f:id:arisugawag:20181006215438j:image二条城

 

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京都

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東海道五十三次 歩く Day18 草津ー大津ー三条大橋(京都) 26k

   最終日というのは、常に意識がゴールに向いているので、その過程が疎かになる。

   とは言え、琵琶湖畔の草津から、県庁のある大津を通り、逢坂の関を越えて、京都へ入る過程は、何か特別にドラマチックな展開があるわけでもない。

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    朝八時過ぎに出発して最初に向かったのは中山道東海道の分岐である追分。通勤時間帯のため、仕事に向かう人々が写りたくもないのに、写ってしまう。なので、なかなか良い一枚が撮れない。適当なところで諦めて南下する。

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    一旦、琵琶湖の再南部まで降りて、対岸に渡り、そこからまた大津まで上っていく。大津側からは、昨日ホテルの窓から見えた山々が同じように、でも小さく見えて、確実に京の都に近づいていることを確認する。

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   旧東海道は、湖畔ではなく内陸の道を通るので、少しの間、湖畔まで出て歩いてみる。朝から魚釣りをしている人が結構いる。

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    大津市内の旧東海道に義仲寺があった。大津の義仲寺で松尾芭蕉は眠っている。

    旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

    日本中を歩き回り、最後は琵琶湖畔に眠った芭蕉。好きな旅に、その人生を生きたのだから、幸せな一生だったのだろう。

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    大津市内を抜けると、坂が始まる。逢坂である。逢坂の関は百人一首の蝉丸の歌が有名だ。

    これやこの    行くも帰るも    別れては
 知るも知らぬも   逢坂(あふさか)の関

    坊主めくりのとき、この蝉丸を引くと持ち札を全て失い負ける。なのでより印象的に誰もが覚えている。その蝉丸を祀った神社が、逢坂にある。実際蝉丸は逢坂に住んでいたという。

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   坂を上りきると、今度は下り坂だ。遠くに山が見える。その足下は京の町だ。

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   やがて、京と奈良との分岐となる追分に到着。京方面に進む。高速道路を歩道橋で渡ると、京の町に入る

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   東海道の出入口にあたる山科地蔵のベンチで一度、背中の荷を下ろす。琵琶湖畔からここまで座れるところがなかった。地元の人が、地蔵に手を合わせ拝んで行く。

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    しばらく家並みを縫うように歩くが、一度東海道に出たあと、再び旧東海道は脇道に入っていく。その先は細い道が坂を上っている。また坂か、と思いながら、最後の坂だと言い聞かせながら上る。車一台がやっと通れる道を、宅急便のトラックが上っていく。そこだけを写真で見たら、京都とは思えない、山の中の一本道を進む。現在は広い国道が並行して通っているが、往時はこの細道が江戸と京を結んでいた。

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   そんな寂しい道も突然終わりを迎える。再び東海道と合流する。坂を上りきった後は、京の町に向かって降りていく。自転車が脇をすり抜け、かっ飛んでいく。地下鉄の駅が現れる。その先に、ウェスティンホテルが見える。そこを緩やかに曲がると、あとは最後のストレート。三条大橋まで、一直線だ。

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    一つ一つ交差点を越えていく。途中、坂本龍馬おりょうさんが結婚式を行なったお店の前を通る。

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    町の中心に近づくと、自分の出で立ちが気になり始める。一日歩いていると、汗まみれになる。汗のにおいが気になる。髪の乱れが気になる。

    京の町は細やかなデザインがここかしこに施されていて、江戸の大雑把なこだわりの無さとは大違いだ。町を行き交う人の出で立ちも、どことなく、品がある、ように見える。これは私がお上りさんだから、かもしれない。

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    信号をいくつも越え、ようやく三条大橋が見えてきた。ここに日本橋から十八日をかけて歩いてきたおっさんがいる。しかし、誰一人として、気にとめない。日本橋を歩いている時に、京都から歩いてきた人がいるかもしれない、そんなことは考えたこともなかった。京都の人もそれは同じだろう。

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   信号が青になる。横断歩道を大勢の人と一緒に渡る。ゴールだ。そう心の中で叫ぶ。やった。一人喝采する。心のうちで、達成感が沸き起こる。

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    三条大橋と写真を撮る。三条大橋の写真を撮る。橋から見た風景を撮る。

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    心の中に湧き上がる喜びが消えてしまわないように、写真を撮る。今の気持ちを撮る。

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採る。獲る。録る。

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    十八日間。日数だけ数えると、随分と時間をかけたようにも思える。しかし、その一日一日は、ハプニングの連続だった。足裏がマメにやられ、靴を変えた。その靴もトレッキングシューズで、靴底が硬い靴だったので、腰を痛めてしまった。最終局面でノミの奇襲攻撃も受けた。満身創痍となりながら、でも不思議なことにやめようとは思わなかった。

    ゴールした今、達成感で満ちている。自分の自信になる。

    これで一つのプロジェクトが終わった。これが達成できたのは、家族の協力があってのことだ。また多くの友人達が励ましてくれたおかげだ。おかげさまで、無事ゴールすることが出来た。

   みなさんありがとう。

   Just done it  !

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大津

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京都(三条大橋

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東海道五十三次 歩く Day17 水口ー石部ー草津 26k

    マメの痛みにも負けず、腰の痛みにも負けず、台風の下を潜り抜け、いよいよゴールの京都三条大橋まで、あと二日。

    そんなはやる気持ちを戒めるかのように、またトラブル。泊まったホテルの部屋がノミだらけ。下半身だけで四十箇所以上さされ、痒い痒い痒い。次に泊まる人が気の毒なので、ホテルに連絡した。

    昼寝をしているときに虫に刺されたと思い込んでいたが、ホテルに入ってからのことだったようだ。夜中に足をかきむしり、先程、今日のホテルに到着と同時に足を見たら、もう足がボコボコな有様。

    そんな状態であろうと何だろうと、痒いくらいでは、遅れる言い訳にはならない。いや、一刻も早く部屋から出ないと、痒い痒い。

    慌てて、八時半に出発。

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    天気予報は曇りとのことだったのが、すぐにポツポツ降ってきた。ジョギングシューズの中に水が侵入しないように、靴と同じ黒色のガムテープを買い、メッシュ素材の上から、出発前にベタベタ貼る。小雨程度ならこれでも防げることが判明。以前のトレッキングシューズでは、土砂降りの中でも平気だった。しかし、防水性ゼロのメッシュにガムテープを貼るだけで大丈夫か。歩いているうちに少しずつ剥がれてくる。なので一日持つかどうか。でも、これで何とかしのぐ。

   マメの痛みと、コシの痛みと、ノミのかゆみに想いは枯野をかけめぐり、歩き続けた七時間半。直線距離二十一キロなので、五時間くらいで本来着くはずが、腰の痛みが歩き方に影響している。とにかく、かかとをついて前に進めない。つま先でザッザッザッザッといった感じの歩き方になり、歩幅がどうしても小さくなる。これをかかとからつけて、大股で歩こうとすると、腰がぐりっと外れそうな痛みになる。

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    水口から草津まで、途中見るべきものは特になし。もう滋賀あたりになると、旧東海道に江戸以前の歴史が積み重なっていて、旧東海道と同じ名称で呼んでいても、信長の話やら、六角氏との攻防だとか、江戸以前の話で大賑わい。静岡以東の人にとっての東海道は、弥次喜多道中の東海道だが、名古屋から西の人にとっては、ヤマトタケルの神話の時代から続く、東海道

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    本当は、寄り道して安土城長浜城彦根城なども見て回りたいが、今回は京都まで歩くことが目的。初めから、スコープアウトしている。

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   ホテルへ午後三時に着くと、すぐに風呂に入り、洗濯をして、途中のドラッグストアで買ったムヒを下半身に塗りたくる。塗った後は良いのだけれど、しばらくするとまた痒くなる。

    針を刺し水を抜き、腰痛用バンテリンのジェルを塗り、さらにムヒまで塗って、満身創痍だが、何とか五十一番目の草津宿まで無事にやって来た。

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   遠かった京の都も明日到着。

   明日の天気は曇りの予報。気持ちよく歩けそうだ。東海道五十三次もいよいよ明日ゴール。

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石部

東海道石部宿歴史民俗資料館:湖南市

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草津

栗東歴史民俗博物館ホームページ

 

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東海道五十三次 歩く Day16 亀山ー関ー坂下ー土山ー水口 32k

    歳をとると、常に体のどこかが痛むと言う。今の私はまさにその通り。満身創痍。マメは十を超えてから、数えるのをやめた。ジョギングシューズになってから、収まっている気はするが、昨日やはり新しいものが、古いマメの隣にできていた。もう水も抜かない。

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    途中日陰のベンチを見かけると、ザックを枕に昼寝するのだが、今日はふくらはぎを大量の虫に刺された。ブツブツかゆいが、これくらいは平気になってしまったようだ。

    痛むところを気にしていたら、歩けない。そもそも腰が一番痛いので、意識は常に腰に集中している。立って歩いているときは良いが、座ったり、寝たりしたとき、もう起き上がれない。どうしても激痛が走る。それでも寝たい。痛みを覚悟で寝るのだ。今日は二回寝た。鈴鹿峠手前まで、ホテルから歩き始めて二時間半。少し坂道を登ったところで気持ち良さそうなベンチがあったので、横になる。

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    そして、今日のゴールの水口手前の公園のベンチ。ふくらはぎはここで刺されたのだと思う。多分いびきをかいて寝ていたと思うが、手首のアップルウォッチが震えて眼が覚める。エージェントからの電話だ。

ハローと、英語で出ると日本人だった。

そろそろどうですか。最近のご様子をお聞かせいただけないかと思いまして、と聞かれる。

今旅行中なんです。東海道を京都まで歩いてところです。

え?

普通はそのような反応だろう。オフィスにいる私にかけているつもりでいるから。

帰った頃に連絡をしてみてください、と言って切る。

 

    亀山を出たのは朝五時半。今日は三十五キロあるので少し早めにホテルを出た。長距離、かつ、峠越えだ。それも腰痛を抱えている。

 

   春はあけぼの

   ようよう白くなりゆく山ぎは、

   少し明かりて

   紫だちたる雲の細くたなびきたる

 

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    秋だけれど、夜明け、まさに山の端に浮かぶ雲は、うっすらと浮かびあがり、鈴鹿の峰々は、静かな前奏曲で迎えてくれた。

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    鈴鹿峠の入り口手前。関の宿に到着。関の宿から八坂神社の祭りに出される山車があまりに立派だったので、関の山、と言われるようになったという、関の宿。歴史的な遺産である、峠の宿の雰囲気を壊さずに街並みを残そうという、町の人々の意欲が伝わってくる。山車作りにかけた意欲と同じ熱意が町づくりにも生きている。必ずしも江戸時代がそのままに残っているわけではない。しかし、保存、改善のレベルは、東海道五十三次の宿場町の中では圧倒的にナンバーワンだろう。宿の入り口から終わりまで、延々と続く軒。長い。中には新しい建物になっているところもあるが、うまく隠すようにしている。自動販売機も少し遠慮がちに置いてあったり。そのような配慮を訪問者はどことなく感じ取るのだ。

   関の宿を通過したのはまだ朝の七時。通勤だろうか。車ばかりが出て行く。日中お店の空いている時間に 、もう一度訪れてみたい。

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   関の宿を通過すると、いよいよ上り坂が勾配を上げる。爪先立ちしながら歩いていたのが、かかとをつける歩き方になっている。腰に痛みが走る。ただ、腰のサポーターがかなり効いている。ザックが揺れて背中の背骨を直接押していたのが、サポーターのお陰で分散されている。かなり楽だ。高い買い物だったが、買って正解だった。

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    鈴鹿峠は、ほとんどが舗装路だ。峠のほんの一部だけ未舗装がある。ただ、私がアプリに従って歩こうとしていた道は、なくなっていた。アプリではトンネル脇から上るように表示されていたが、一昨日の台風のせいなのかもしれないが、倒木が酷く、通れる状態ではなかった。仕方ないので亀山側に降りてくる向きのトンネルを逆走して通り、反対側から峠まで登ってみた。

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    京から江戸に向かうと、少し感じが異なることに気付いた。都落ち。こうした気分を言うのか。そう思った。鈴鹿峠を越えると、この先に果たして京の都のような文化を尊重する風土が存在するのか。少し侘しくなる。

    大井川手前の中山峠を越えるころには、京を出てから数日を経て、本当に遠い世界に来てしまったと、山道を通りながら、そう思うのだろう。それが、数々の歌にあらわれている。

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    江戸から京へ向かう時も同様だ。名古屋までは言葉もそう変わらない。しかし、三重に入ると、少し関西風の発音になる。そして、鈴鹿峠を越えると、もう関西弁や。

    人と会話をすることはない。しかし、お店の人との会話で、微妙なイントネーションが、言葉の端々に出るのだ。こちらが東京弁を使うと、相手も自然と東京弁で返す。これは日本放送協会のおかげだろう。一応全員東京弁を話せるような教育は受けている。

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    今日は国道一号線をほとんど通らず、旧東海道を歩くことが多かった。国道一号線はトラックがすぐ脇を轟音をあげて横を通り行くので、常に緊張を強いられる。その点、滋賀県旧東海道は愛知県内と異なり、ほとんど車が通らない。生活道路も旧東海道とは別に走っているようだ。滋賀県も愛知県同様歩道がほとんどないが、車も通らないので、怖くない。

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   明日は草津。そして明後日はいよいよゴールの京都三条大橋。明日は二十一キロ。翌日は二十六キロ。距離も近い。江戸と京都が線でつながる。この感覚、歩いたものにしか分かり得ないものなのかもしれない。線を最後までつなぐように、明日も歩く。あと二日だ。

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坂之下(坂下)

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土山

【東海道伝馬館】アクセス・営業時間・料金情報 - じゃらんnet

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水口

 

 

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東海道五十三次 歩く Day15 四日市ー石楽師ー庄野ー亀山 22k

   腰が痛い。寝返りも打てない。夜中に何度も目がさめる。一度トイレに行こうと思ったが、痛くて起き上がれない。こんな状態で歩けるのか。

    何がいけなかったのか。油断。体の調子が良くなったという錯覚。台風をやり過ごせてほっとした気持ちの緩み。蓄積した疲労。直接的には食べ過ぎによる体重の増加と、いい気になって重い荷物を背負ったままのランニング。

    予防措置では失敗したので、即時対応として、荷物の削減。五百グラム近くある重いバッテリーとランニングタイツの予備の削減。腰痛の原因にもなる底の硬いトレッキングシューズからジョギングシューズへの切り替え。一キロあるザックも数百グラムの軽いものに買い換えた。パッキングしてみれば、結構な重さになる。宅急便で家に送った。

   あとは、中断していた食べものの記録を再開する。

    レコーディングダイエットはとても効果的だ。いまは良いアプリもある。わたしはここ三ヶ月毎日記録していたが、箱根を過ぎたあたりから、コンビニの複数回の買い物の内容がわからなくなってきて、また、疲れ果てて記録しなくなっていた。アプリがカロリーオーバーしていると警告してくれるので、とても良いのだが、ここのところこれを使っていなかった。お腹がふっくらと元に戻ってしまった。

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    今日は近場なので朝八時に出発。しかし、腰痛なので変な歩き方になる。つま先で着き、つま先で踏み出す。これは足袋を履いた時の歩き方ではないか。ビブラムソールの五本指の靴で来てみようかとも思ったが、この感じだと無理だった。かかとから着かない歩き方だと、歩幅が小さくなる。かかとから着く歩き方に慣れているのに、かかとのクッションが弱いと腰にくる。腰を痛める時は、先にかかとが痛くなると、整体の人に言われたと、母から聞いたが、現実になってしまった。

    とにかく腰痛に耐えることが第一なので、道中ほとんど覚えていない。

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   古事記に記載のある、杖衝坂(つえつきざか)というヤマトタケルが剣をついて上ったという坂は確かに急だった。松尾芭蕉の話も書いてあったが、とにかく腰が痛いので、さらっと見て通過する。坂道は特に腰にくる。

 

    歩行(かち)ならば

    杖つき坂を

    落馬かな。

    芭蕉

 

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    どこもかしこも代わり映えしない風景が続くが、石薬師の宿で、思いがけないものを見た。佐佐木幸綱の歌である。私が学生だった頃、早稲田の文学部の先生だった。

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   石薬師の宿にお父様の佐佐木信綱の記念館が建っていた。佐々木家の菩提寺の前を通ったら、お寺の幼稚園で運動会の予行練習をしていた。

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    その入り口には、親子三代で歌の石碑が並んでいた。宿の家の前数件おきに、佐佐木信綱の詠んだ短歌のボードが掲示してある。江戸時代の東海道、とは違うが、なかなか趣があって良かった。私が良いなと思ったもの。

 

    ありがたし

    今日の一日もわが命

    めぐみたまへり

    天と地と人と

    信綱

 

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    透き通った青空の下、頭の中で詠む。無音でありながら、言葉の余韻が腰の痛みと疲れた身体をときほぐす。一瞬、時を超える。そんな感じがする。痛みもまた生きている証。

 

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    痛みは一向に収まる気配もなく、どうしようかと考えていた時に、イオンマート鈴鹿の案内図が出てきた。旅行用のカートに乗せて、荷物をガラガラ引っ張れば、腰に負担はかからない。そう考えた。

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   庄野の宿から離脱。橋を渡り、イオンマートまで三キロの遠回り。旅行カバンコーナーにカートはあったが、重さが一キロ以上もある。無駄遣いもしたくない。治れば不要。

    結局買うのはやめて、しばしエアコンの効いたベンチで休憩。かなり遠回りしたが、エアコンの効いた肘つきチェアで三十分くらいお昼寝。四日市を出て以降、まともに座るところも無かったので、良い休息となった。

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    イオンからは残り八キロ。二時間の距離。

 

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    ホテルに着くと、隣がスギ薬局。東京では見かけないが、中京地区では大きな存在感を持つドラッグチェーンだ。ここでバンテリンの腰バンドを買った。今日の宿泊費より高い。しかし、サンプルで置いてあるものをつけると、確かに違う。もうなんでも良いから苦痛から解放されたい。そんな気分だ。家でも使えるし。でも、ここのところ予想外の出費がやたらと多い。予算を確認しないとまずい。

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    明日は久しぶりの峠越え。かつ三十五キロ。実質的には四十キロになるだろう。腰痛で果たして峠越えができるのか。バンテリンの腰ベルトを着けて、鈴鹿の峠越えに明日はチャレンジする。

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石楽師

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庄野

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亀山

 

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東海道五十三次 歩く Day14 宮(熱田神宮)ー桑名ー四日市 40k

   良い日もあれば、悪い日もある。悪いことは大抵油断の中から生まれる。

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    昨日は体の調子が良く、思わず走り出してみたくらいだが、それが良くなかった。台風を無事やり過ごし、足のマメも硬くなってきて、これから本調子と思っていたのに。腰を痛めてしまった。

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    原因は、食べすぎだと思う。動いているから大丈夫だと思い、ここのところ、夜好きなだけ食べている。当初は昼抜きで歩いていたが、静岡辺りから、公衆トイレが少なくなり、コンビニで、トイレを借りることが増えた。すると、結局何かを買うことになり、都度、おにぎりやポカリやスポーツゼリーなどを、こまめに食べている。

    昨晩は台風だったので、ファミマで夕食をたっぷりと買い込み、部屋へ戻るときに思った。重い。これ一晩で全部お腹に入れるのか。

    平塚で買った靴の底が、擦り切れてもう溝がない。わずか十日のことだ。同じくらいの日数で、私のお腹の脂肪も元に戻ってしまったようだ。体重計がないのでなんとも言えないが、明らかな食べすぎで、おそらく出かける前の体重以上に増えている。

    痩せて帰ってくると家族に宣言したのに、これではまずい。また計画の引き直しだ。何よりこの腰痛をどうしよう。台風一過の涼しい秋風の吹く、良い天気であるにもかかわらず、私の体は今回の旅でも最も重い状態となっていた。

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    かがんでは、靴も履けないほどの痛みから、今朝はスタート。江戸時代は七里の渡しで対岸の桑名まで渡ったが、今は国道一号線が走っているので、そこをまっすぐに歩く。

    名古屋市内に入ってからは、歩いている人はいるし、ジョギングしている人はいるし、朝の散歩をしているおじいちゃんとおばあちゃんもいる。ラジオ体操に合わせて体操をしている人もいた。東京と変わらない生活を送る人たちがここにはいる。結局、都市部と都市周縁部では、生活様式が異なるということなのかもしれない。

    ただ相変わらず歩く人は少ない。車社会ではあるようだ。今日一日だけでも、国道一号線を歩いていると、何度も歩道橋の上り下りをさせられる。痛めた腰には辛い。

    今日はあまり頭を使うこともない。ただひたすらまっすぐに、国道一号線を桑名目指して歩けば良い。ただ、昨日は軽くさえ感じていたザックがずっしりと腰に重い。

    朝のうちは雲が日を遮り、涼しい風が吹いていたが、内実、その正体は強烈な向かい風だ。長男からもらった帽子が飛んでいきそうだ。子供から初めてもらったプレゼントをなくすわけにはいかない。お守りでもあるのだ。川をいくつか越えるが、その都度帽子を深くかぶり、手で押さえる。

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    坂がないのが救いだ。平らな道をひたすら前に進む。ただ座るところがない。旧東海道ではないので、私も文句を言うつもりはないが、公園も無いし、トイレもないし、東京ならちょっとした空きスペースに置かれているベンチ、のようなものが、一切ない。

   コンビニがなかったら、愛知県の皆さんは、トイレなどはどうするのだろう。日本も欧米のようになってきた。チップまでは取られないが、何か買わないとならない。もちろん強制ではないが、マナーというやつだ。

    災害時の対策としても、国道一号線のような幹線道路沿いの公衆トイレは、非常に重要なインフラのはずだ。津波の浸水域を示す看板は旧東海道沿いの至る所にあるが、他の災害時のバックアッププランは、大丈夫なのだろうか。

    東京の港区は公衆トイレが至る所にあり、公共施設がいつでも避難場所となるように、準備が出来ている。旧東海道を観光の柱にするならば、トイレくらいは作っておいた方が良い。結局それが、自分たちの災害対策にもなるからだ。

    木曽川を渡る前の、桑名市内には、ゼロメートル地帯があった。昨日の台風の後なので、どうかと思ったが、大した影響は無かったようだ。排水のシステムがしっかりしているのだろう。

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    揖斐川長良川を越えて、一キロ南へ下ると、七里の渡しの船着場跡だ、ここから三重県側の東海道が始まる。

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   三重県は愛知県と比べて、東海道に対する地元の人たちの愛を感じる。それは、一軒一軒の軒先に掲げられた、ここが東海道、であることを示すボードが、その気持ちを表している。

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    ただ三重県の場合、伊勢神宮がある。また、京都に近い分、より重層的な文化の重なりを感じる。とにかく腰が痛いので、一つ一つの立て板を今日は見ることができなかったが、一つ一つの説明書きに歴史的な経緯が記述されている。ゆっくり読みながら歩くと楽しそうだ。

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   道も工夫されている。歩道を広く取って、障害となるポールを立てて、車の速度を落とすような工夫を、旧東海道に施している。このような配慮は愛知県には全く無かった。一度だけ見た愛知県警のパトカーの取り締まりも、マイクをがなりたて、まるで品性にかけたものだった。速度が出るような道路を作り、警察が我が物顔で取り締まりを、あえてしやすくしているようにも思える。青森県警の覆面パトカーに高速道路で何度も煽られたことがある。青函連絡船が函館から着いて、走り出したところを狙っているのだ。まさか警察がこんなことするのかと驚きながらも恐怖に怯え、じっと我慢していると、私の車を途中で追い越していった車を追いかけて、捕まえていた。あれは危険な挑発行為だ。埼玉県警も東松山で日頃使用しているレーダーをわざわざ止めて、ネズミ捕りを実施していたことがあった。光が丘の駅前でも、一時停止の線で止まるかどうかを物陰に隠れて見張り、止まらないと急に前に出て捕まえる。今はドライブレコーダーがあるので警察は無茶できないと思うが、警察から身を守る上でも、レコーダーはつけた方が良い。

    リスク管理の原則は予防措置であって、事後対応ではない。警察は犯罪が起きないと、動かないので、事後対応が原則だ、しかし、オトリ捜査を解禁したなら、予防措置も実施すれば良い。とは言え、それは公安部門が大きな権限を持つことになるので、それはそれで怖い社会になるとも言える。

    しかし、予防措置の実施というのは難しい。何しろ、まだ事故が起きていないのに、コストがかかる。これを関係者に納得させるのは、案外難しい。

    桑名からが実は長かった。一昨日くらいから、アップルウォッチが途中で止まってしまう現象が起きており、総歩行距離が一目では分からなくなってしまったからだ。桑名から四日市までは十五キロほどある。桑名までが二十五キロなので、まだ半分近く残る状態だ。

    痛む腰への負担を避けながら、よろよろと一歩一歩前に進み、四日市に着いたのは、午後五時過ぎだった。朝少し早めの六時半に出なければ、もうすぐ日が沈むところだった。

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    十日しか履いていないけれど底の無くなった靴と、重くて臭いのに洗えないバッグを買い替えるために、駅前の近鉄デパートへ向かった。暑い時期に行う長距離の歩き旅。洗えるザックにしないと汗で臭くなる。使ってきたものは、宅急便で家に送った。荷物が少し軽くなり、靴も柔らかいものに変えた。ジョギングシューズなので、雨が降るとぐしょぐしょになってしまうが、いまはとにかく歩きやすさを優先した。疲れず前に進めることが大切だ。

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    あと四日。無事に京都へたどり着くのだろうか。腰の痛みが引いてくれることを祈って今日は眠りにつく。

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桑名

桑名市観光ガイド・七里の渡跡概要

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四日市

 

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東海道五十三次 歩く Day13 岡崎ー知立ー鳴海ー宮(熱田神宮) 33k

    本日午後から東海地方が台風の暴風域に入るというので、朝五時に岡崎を出立。まだ暗い中、岡崎城天守閣がぼんやりと薄明かりに浮かぶ。数年前に訪れたので、見学出来なかったが良しとする。

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    朝ホテルを出るときに、雨は降っていない。今日は延々と国道一号線が続く。黙々と歩く。安城知立と来れば、ほっと一息。ここで残り二十キロだが、まだ朝八時。少し安心する。

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    岡崎から熱田神宮までは、旧東海道と国道一号線がほぼ重なる。地図を見る回数も減り、スマホのバッテリーの持ちも良さそうだ。名鉄と国道一号線は、ほぼ平行して走っているので、万一台風の影響を受けそうな時には、電車で目的地に向かうこともできる。

    嵐の前の静けさというのだろうか。雨は霧雨程度で、かえって過ごしやすい。とにかく昼前に名古屋市内に入ろうと気合が入っているせいか、はじめのニ時間は平均時速六キロのペースで歩いた。今まで大体時速四から五キロくらいなので驚異的な速さだ。途中走れるような気がして、足と腕を走る時のように振ってみたら、そのまま走ることができた。しかし、途中でバテると困るので、また元のペースに戻す。

    知立の宿を歩いているときは、雨が降っていたが、宿を出る頃には、雨が止み、急に陽が差してきた。すると、目の前に大きな虹が現れた。はっきりくっきり。こんなにも大きな虹は久しぶりだ。

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    知立の町から出る時に、おばさんが虹が見えなかった?と聞くので、向こうに見えましたよ、と教えてあげたが、その時には跡形もなく消えていた。

    しばらく国道一号線を歩き、豊明市をひたすら北上する。ファミリーマートの工場が岡崎にあったが、愛知県の国道一号線沿線には、ファミリーマートがやたらと多い。工場があるから物流がスムースなのだろう。でも、ファミマはポカリスエットの一リットルボトルが置いていない。なのでいつもセブンイレブンを優先してしまう。ファミマの役員になったヒデナリに今度会った時に言っておこう。

    昨日までのスローペースを一変させ、時速五キロ以上のスピードで歩いてきたため、十時過ぎには名古屋市に入った。

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    名古屋市に入ってすぐに、桶狭間の戦場跡の案内板が出てきた。国道から百メートルということなので、立ち寄ってみる。

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    織田信長は、今日の目的地である熱田神宮で必勝祈願をした。信長が桶狭間の勝利のお礼に奉納した信長塀が今も残っている。

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    その後、桶狭間へ向かい、奇襲攻撃を仕掛け勝利するのだが、今の桶狭間の地形を見ても、当時の桶狭間が想像できない。びっしりと建物が並び、緩やかな坂道の上ではあっても、逃げ場がない地形のようにも思えない。歴史の常だが、だいぶ脚色があるような気がする。

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    実際のところ、今川軍は宴会を行なって酔っ払いの集団になっていたという話であるから、酔っ払いの集団に対して、今川義元一人を狙って斬りかかった、というのが本当のところではないか。大将を斬れば、どのような軍でも総崩れするだろう。今川義元は、イメージと違って文武両道に優れた人物であったという意見も聞く。歴史は勝者が書いて行くから本当のところはわからない。

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    しばし桶狭間今川義元が亡くなったという場所を心にしまい、再び桶狭間の高台から国道一号線に戻る。熱田神宮から桶狭間まではすぐだ。大軍で構えていた義元には油断があったのだろうな、と思う。桶狭間から熱田神宮までは歩いても三時間で着く。そこまで迫っていれば、信長にはもはや正攻法で攻め入る余裕もない。天の利、地の利、人の利。天地人が絶妙な塩梅で信長を後押ししたのだろう。

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    思えば今朝の四時半。突然目が覚め、出発だ、という声が聞こえた。窓の外を見ると雨は止んでいる。すぐに支度を整え、五時過ぎには出発。天気予報では、東海地方は午後から天気が大荒れだ。未だ嘗てない規模の台風だという。巻き込まれれば、身動きが取れなくなる。

    信長も突然出陣を叫び、部下の者たちが慌ててついて行く状態だったという。天地人を味方につけるためには、突然の閃きを信じる勇気が必要だ。

    信長は閃きを信じ、桶狭間からその一歩を始めた。私も夢だかなんだかわからない閃きで四時半に起き、十二時前に熱田神宮近くのホテルへ、無事到着することができた。

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    時間があったので、熱田神宮に旅の無事のお礼を伝えるためにお参りをした。そして、七里の渡しの渡し場まで歩いてみた。ここから先、江戸時代は舟で渡った。三重県の桑名まで。七里の渡しというくらいだから、二十八キロある。今は橋があり道が通っている。鉄道も走っている。台風が来ているので、明日どうするかは、状況を見て決める。

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    七里の渡しから、旧東海道を戻り、途中のファミマで台風に備えて夕食を買い込む。ポカリが必要無ければ、私はヒデナリの勤めるファミマで弁当を買うのだ。

    ホテルに戻り、預けていた荷物を受け取り、部屋に入ると、窓の外で何やら尋常でない音がする。大きな雨粒が窓を叩いている。傘もささずに外から帰ったばかりなのに。わずか三分の間に外は大荒れの天気に変わっていた。

    伊勢湾台風以来、と言われる台風の影響を全く受けずに、今日一日を無事に歩くことが出来た。

    熱田神宮よ。ありがとう。

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池鯉鮒(知立

【旧東街道松並木】アクセス・営業時間・料金情報 - じゃらんnet

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鳴海

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名古屋市:宮の渡し公園(暮らしの情報)

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東海道五十三次 歩く Day12 吉田(豊橋)ー御油ー赤坂ー藤川ー岡崎 28k

  豊橋を八時前に出る。今日は台風が近づいているので天気が悪い。これから明日にかけて、天気が良くなることはない。出来るだけ前に進んでおきたい。

    岡崎まで三十キロくらい。少し小雨が降っている。太陽が出ていないときは、暑いので帽子はかぶらない。代わりにカサをさす。

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    豊橋市から豊川市に入る。歩道が狭い。というよりも、歩道がない。ドブ板の上を歩く。時々穴に足が挟まって転びそうになる。国道一号線と並行して走っているので、人は一号線を歩けということか。でも旧東海道沿いに住んでいる人はどうするのか。ドブ板の上を歩くしかない。または、出かけるときは、車で?。だから人が歩いていないのか。

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    前方に川が見えてきた。近づくと橋に歩道が無い。これは、天竜川以来二回目だ。天竜川はすぐに並行するバイパスの歩道に渡れたが、ここの橋と国道からは少し離れている。川幅よりも国道までの方が遠い。

     怖いけれど、そのまま渡ることにした。車道を歩くのだから、余裕は無い。車が避けなければ、自分が川に飛び込むしか無い。歩き始めて後悔した。でも引き返せない。向かって来る車が次々とセンターラインよりに避けていく。両方から鉢合わせになると、一度双方向の車が止まる。すると、後ろから車が来ていたことがわかる。大型トラックが迫ると恐怖だ。音も大きい。しかし、幸い煽るような人はいなかった。みな、回避して通ってくれた。

    川を渡っても、まだ歩道なしは続いた。なだらかな坂道が先の交差点まで三百メートルくらい続く。随分と長く感じる。まだ着かない。まだ着かない。先の交差点の信号が五回変わってようやく歩道が現れた。歩道に飛び込む。脇を車がすり抜ける。侮れない。豊川市

    愛知県は交通死亡事故が全国でも多い県だったと思うが、原因の一つは道路の作り方だと思う。国道一号線は高速道路と変わらず、裏道は歩道が無い。生活道路でガードレールのあるところなどほとんど見ない。一般道を時速百キロで走り、それから裏道に入ると急に穏やかな運転になる、ということは有り得ない。

   また、静岡に入ったあたりから、横断歩道が減り、歩道橋やトンネルが増えてきた。交差点なのに、歩行者用信号が無いのだ。いちいち歩道橋やトンネルを上り下りするのは辛い。歩行者を軽視している。渋谷のスクランブル交差点から横断歩道をなくすようなことをして良いわけがない。

    お年寄りは外を歩けない。歩けない老人が増えると、医療費が高く付くのでは無いか。外を歩こうにも怖くて歩けない。散歩する所がない。せっかく東海道が目の前にあるのに、ちょっと豊橋まで歩いてみようか、なんて怖くて出来ない。国道一号線は、トラックの風圧が強くて、こちらもお年寄りは怖いと感じるだろう。

   同じ日本でこうも生活が違う、ということは新鮮な驚きだ。日本中でラジオ体操をして散歩をして、駅まで歩いて仕事に行くわけではないのだ。そんな生活は東京近県の極小さな世界での出来事だ。

    東京では、大勢の老人が、朝になると、さっさと早歩きで散歩をしているが、少なくとも静岡県から愛知県にかけて、そのような人は見かけない。六時半に公園に集まってラジオ体操をしている人も見ない。

   おそらく、サラリーマンが多い神奈川県までは同じ文化圏だ。静岡にもまだ散歩する人はいた。大井川あたりが分岐になるのか。中山峠は、文化的な分水嶺なのかもしれない。

   愛知県を歩いていると、人と会わないので、車がモビルスーツをきた、人のようにも思えて来る。冗談でもなんでもなく、本当に人が歩いていないのだ。豊橋の駅周辺にはいた。しかし、駅を過ぎて五分もすると、もう歩いている人がいない。朝八時台なのに。今日は三十キロ歩く間に、八人歩いている人を見た。

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    愛知県内の東海道は、点で管理するものらしい。御油、赤坂、藤川と岡崎に近づくにつれて、入り口と出口の標識は立派になる。資料館もあるらしい。車やバスでさっときて、さっとみて、車やバスで次へ移動する。そんな感覚なのだろう。歩道もなければ、ベンチもない。車やバスなら車中で休むことができる。

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   名古屋に近づくにつれて、少しずつ東海道への地元の愛着を感じなくなる。地元の人たちが誇りに感じていることをあまり感じない。本当に残念だ。東海道は潮見坂まで。いまは、そんな印象さえ持っている。

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   明日は熱田神宮まで。愛知県は明日でおしまい。三重県に期待したい。

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御油

【御油の松並木資料館】アクセス・営業時間・料金情報 - じゃらんnet

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赤坂

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藤川

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岡崎

 

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東海道五十三次 歩く Day11 浜松ー舞阪ー新居ー白須賀ー二川ー吉田(豊橋) 35k

   ペースの作り方のコツが分かってきた。今日は四十キロあるので、早めにホテルを出る。朝六時前。すると涼しいうちに距離を稼げる。十一時を過ぎるともう暑い。でもすでに半分以上進んでいる。あとは足と相談しながら、ゆっくりと前に進む。

   昨晩、浜松駅上のロフトで、靴の中に貼る、踵用のクッションを買った。効果があるような気がする。少し柔らかくなった。

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   浜松の宿から舞阪の宿まで、すぐに着くつもりでいたが、二時間以上かかる。

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    そして、そこから先は浜名湖。平日の朝九時に浜名湖を歩いて渡る人は、私くらい。天気は快晴。でもまだ暑くない。湖面を渡る風が心地よい。

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   対岸に渡ると、そこが新居(あらい)の関。かつては船で渡ったというが、今は歩いて渡る。この先まだまだ長いので、外から見るだけで素通りする。

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   新居の関から南に少し下り、右に折れると、その後、延々と一時間半炎天下を歩く。松並木が時々あるのだが、車道にその影を落としても、歩道にその影はない。まるで意味がない。歩く人は私だけで、車しか通らないのでそれで良い、のかもしれないが。

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    今は海岸線が遠く数百メートル南に下がり、海沿いに東名高速が走っているが、往時は崖の下、旧東海道の街道沿いに波打ち際があったはずだ。

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    海と旧東海道の間には、今でも野原が広がっている。人もあまり住んでいないようだ。海面から数メートルだけ高くなった旧東海道沿いに家が並ぶだけだ。

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    自動販売機が一台もなく、渇きに耐え、いい加減うんざりして、蜃気楼でも見そうになってきた頃、右折を示す標識が見えた。潮見坂だ。

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    京都から来ると、潮見坂で初めて富士山と遠州灘が見渡せたそうだ。武田勝頼との戦いの後の信長を、家康がここに茶亭を建てて、もてなしたという。

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    潮見坂を上ると、体験施設「おんやど白須賀」がある。潮見坂にまつわる話の展示、東海道中膝栗毛弥次喜多道中の再現ドラマなどがあり、想像以上に楽しめる。小さな建物だけれども、無料だし、トイレもあるし、休憩も出来る。

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    「おんやど白須賀」の少し先に、白須賀の宿があった。しかし、もともとは海岸沿いにあったらしい。江戸の時代に津波で流されてしまった後、坂の上に引っ越したそうだ。潮見坂の上には、今でも大きな住宅地が広がっている。

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    潮見坂を上ると、すぐに愛知県に入る。ようやく静岡県が終わった。

    愛知県にはベンチがない。特に二上までは、街もない、駅もない、店もない、日陰もない、そして、ベンチもない。ベンチについては、愛知県内に入ってから、旧東海道の宿場跡を示す二川の公園などのベンチを除けば無い。もっと言えば、歩いている人がいない。歩く人がいないのは、静岡県から既にその傾向はあった。しかし、浜名湖を境に全く会わなくなった。朝夕の登下校で歩く小中学生を除き、歩いている人を見たのは、一日で十人いない。一日中四十キロも歩いているのに。

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   また、道路の表示が最小限になり、パネルを読んで楽しむ、ということができない。旧東海道を歩いていても、静岡県内にあった、旧東海道はこちら、と案内する看板がない。手元に資料が無いと、完全に道を見失う。

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    ただ、二川の宿と白須賀の宿の間は、夜道に気をつけろと江戸の頃から注意喚起がされているくらい、人のいないところだそうなので、本当に何も書けることがなかった、のかもしれない。

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    にもかかわらず、二川の宿は立派な作りだった。トイレも数カ所あり、宿の中には公園もあり、旅人をもてなそう、という気持ちが伝わってきた。ベンチもあった。

    しかし、宿を離れるとまた、何もなし。ベンチもない。標識もない。ここは旧東海道なのか。一本道だから間違えようがないだろう、と言われれば、そうかもしれないが、突然小道に入ることもよくある。

    例えば、急に潮見坂に曲がるときのように。だれが見てもこちらに曲がると、わかる表示が無い。カーナビ付きの車で来る人しか想定にないのか。そもそも旧東海道歩きは、関東の人の遊びで、名古屋から西は関心ないということなのか。この答えは明日からの楽しみにとっておく。

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    蛇足だが、夕方の豊橋駅では、多数の歩く人を見た。ここには東京と変わらない通勤風景があった。

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舞阪

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荒井(新居)

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白須賀

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二川

トップページ|二川宿本陣資料館

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吉田 

 

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東海道五十三次 歩く Day10 掛川ー袋井ー見附ー浜松 35k

    掛川は朝から雨。台風が近づいて、さらに秋雨前線の影響で、広く東海から関東にかけて、雨雲が覆っている。

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    靴は防水なので、全く雨がしみてこない。素晴らしい。しかし、わずか五日にしてすでに靴底がすり減っている。マメは多少回復してきた。

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   気になるのは台風だ。雨ならカサがさせる。少し不便だが、歩くことは出来る。しかし、台風となると少し事情が変わる。突風の中、カサをさすわけにはいかない。壊れる。従って、今まで温存してきた、三百円ショップのポンチョの出番ということになる。下半身は諦めよう。スポーツタイツは濡れてもそう寒くはない。上半身さえ守れば、体温は維持できる。

   怖いのは、飛来物だ。車の横倒しは論外だが、事故に巻き込まれる危険性も高まる。歩道は池のようになり、歩けなくなるだろう。さてどうなるか。ひどくなりそうなのは、熱田神宮に着く日のようだ。進路の様子を確認して対応するしかない。

   そのような最悪の台風を想定していることを考えると、今日の雨など恵みの雨だ。飲料を買わなくて済むので、コストダウンになる。また、汗もかきにくく、歩き始めはすこぶる気持ちが良い。それも最初の一時間で、そのあとは、またいつもと同じ。汗びっしょりになる。

    ホテルを出た時、雨は止んでいた。ラッキーと思い、歩き始めて、掛川駅周辺の商店街のアーケードが途切れた頃、雨がポツポツと落ち始める。モンベルの超軽量トラベルアンブレラをサイドポケットから出す。実に軽量。もっと早く買えばよかった。七百円の携帯傘とは、出来が違う。高いだけのことはある。

    昨日はドラマチックな展開の中山峠だったが、今日は何も無い。期待もない。ただ黙々と雨の中を歩く。そんな時が、人生実は一番長い。大部分がそんな時間だ。感動的な瞬間はごく稀だ。だから、その瞬間が心に刻まれる。

   久し振りに妻と再会し、この人と結婚すると思ったとき。分娩室でこどもの誕生の一部始終を見たとき。デュッセルドルフで見たライン川の向こうに沈む夕日。クフ王のピラミッドの中の猛烈なアンモニア臭。

   この何の変哲も無い歩き続ける旅も、いつか私のどこかに蓄積されて、何かの拍子にポーンと思い出されるのだ。心震える体験をあといくつ積み重ねることができるのだろう。

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    日本全国どこでも同じ規格の住宅。そして、時折古い民家がそこに軒を並べる。町中にはビルが建つが、街道沿いは、基本的には一軒家が続く。景観規制など無いのだが、同じ規格だ。新旧入り混じり方も、なぜかどこも同じ。どこを切っても金太郎飴のように、同じごちゃ混ぜ感で、揃っている。これが、私たちの生きる日本だ。これはこれで良い。良さはある。

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   国道一号線は、ちょっと違うようで、また同じだ。日本の有名チェーン店がローテーションを組み時々、忘れた頃に現れる。コンビニ、牛丼、ラーメン、焼肉、寿司、マック。こちらもどこを切っても同じ風景。埼玉と静岡の国道の写真を並べても、たぶん判別は難しいだろう。

    国道一号線と旧東海道が重なる時は、コンビニを見つけるのに苦労はしない。しかし、旧東海道が国道一号線から離れると、嫌われたかのように、コンビニは皆無となる。いや、店が無い。

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   昔の宿場に差し掛かると、その土地の名物を並べた店が出現することはある。しかし、ごく稀だ。旧東海道は基本的に生活道路なのだ。地元の人は、東海道五十三次など、あまり気にしていない。ここが日本橋とつながっているのは知っているけれどね、くらいのことである。

    中山峠のような、風光明媚さも、静けさも、何もない一日。日坂の宿のような長閑さも、金谷峠の美しい石畳も無い一日。

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    掛川の次は袋井。その次は、磐田。そして天竜川を越えると浜松。カサをさしながら、雨にあたりながら、歩道にできた水たまりを避けて、大型トラックの突風に煽られる。

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   雨にも負けず、風にも負けず、強い横風で服が濡れても、今日は涼しくて良いねと言い、向こうから自転車に乗ったおばぁちゃんが、よろよろとふらつきながらこちらへ向かってくれば、さっと壁際に避け、後ろから車が近付く気配を感じれば、先にどうぞと進路を譲る。その繰り返し。

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   七時間歩き、浜松市内がいよいよ近くに見える。一日の労働時間分休みなしに歩き続けるのだ。あなたが九時から働き始めて、昼休みもなく、定時で上がるころ、アクトタワーが大きく見えた。その下が、浜松駅だ。

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    掛川から浜松まで、実測三十三キロ。明日は豊橋まで三十九キロとあるので、実測は四十数キロになるだろう。三島と静岡ほどの距離だ。明日も上り坂がある。

    フルマラソンを走ったことがあるのだから、歩けないわけがない。と自分に言い聞かせる。でも、マラソンコースの場合は、荷物も急坂もない。しかし、止まりさえしなければ、必ず目的地には着く。

   明日は晴れなので、台風が来る前に着実に進みたい。明日は七時前に出発だ。

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袋井

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見附

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浜松

 

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