有栖川豪の日記 Just do it !

よく考えたあとは、やってみよう、うごいてみよう

東海道五十三次 Day5 箱根湯本ー箱根ー三島 27k

    箱根湯本の駅手前から、左折したところで、箱根へ向けての上り坂が始まる。旧東海道箱根駅伝で走る道とは異なり、左手の山あいを進む。

    並行して箱根新道が走る。途中出入口が設けられており、そこから吐き出された車が、旧道の細い一本道を行き交う。交通量は想像よりも多い。一分間一台の車も通らない、ということはない。

    いきなり始まる上り坂の勾配はかなりのものだ。歩き始めで元気な時だから良いが、そうでなければ心折れるかもしれない。いちに、いちに、と心の中で数えながら足を運ぶ。みるみると箱根湯本の町が小さく谷間に埋もれていく。

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    歩道が無いため、道の右側を歩く。左側を歩くと後ろから追い越される形になる。左側は山側になるので、気持ち箱根へ上る車線の方が、下る車線より狭い。また、右側の方が、前方から迫る車が確認しやすい。とは言え、前方から下って来る車の速度は上りよりも早い。コーナーの途中ですれ違う時は、わざと見えるように中心よりを歩く。東京の郊外を走るひどい車は、わざと猛スピードで寄せてきたりして、嫌がらせをするが、ここではあまりそのようなことをする車はいない。しかし、ときおり大型車が後方からエンジン全開で上ってきて、後ろに爆音が迫ると、ヒヤヒヤしながら音との間合いを取り、爆音に首をすくめてやり過ごす。

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    急斜面を登りきったところで、いきなり石畳が現れる。入り口を見落として途中から少しだけ歩いてみた。雨に濡れた石畳はツルツルでよく滑る。靴底によってしっかりと噛むものもあるが、全く滑らないということはない。この後、この石畳には何度も痛い目にあう。

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    舗装された旧道を少し歩くと再び石畳が現れる。石畳の意味を考えてみよう。山登りをすればわかるが、土むき出しの山道は、何もしないと雨で徐々に削られていく。雨が何度も流れることにより、その流れが小さな溝を作り、その溝をさらに次の雨がえぐる。木材を組んで階段状にしたは良いものの、その階段の意味をなさなくなっているスカスカな状態は、山中でよく見かける。

    ここに石を組めばどのようになるだろう。石は重みで下に沈む。石垣のようにしっかりと組むことによって、隙間に土が流れ込み。石はその重みで踏み固まる。石を置くことによって、道が消失するということはなくなる。

    実際に箱根の石畳を歩いてみればわかるが、その隙間を埋める土は流れても、石と石が組み合わさって、斜面を固めている。登山道でよく見かける、えぐられた、とても歩けない溝のようなものはできていない。

    石にも滑るものと滑らないものがある。例えば、三嶋大社の入口付近に使われている石だ。表面が多少ざらついており、革靴のような底のツルツルしたものでも、しっかりと噛む。

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    その点、箱根周辺の歩道は何も考えられていない。薄く切り取られたよく滑る石を、コンクリートの上に貼っている。滑るので人が歩かないところには、苔が生える。すると滑る石が余計にツルツルになる。歩道なのに歩けないので、車道を歩くことになる。

    旧東海道はかなりのスピードで車が行き交う。事故も多いはずだ。しかし、歩道が滑るので車道を歩かなくてはならない。ときおり石が貼っていないところがあると、コンクリートがむき出しなので、滑らず安全に歩ける。本末顛倒というやつだ。

    歩道を作った担当者は、雨の日の歩道を歩いたことがないはずだ。道路の整備に製造物責任は問われないのだろうか。定義上の製造物ではないかもしれないが、不作為の作為であるように思う。コンクリートの上に石を貼った方が、業者が儲かるから、少し箱根路らしい特別感を出しましょう、という業者提案をそのまま飲んだに違いない。どうせ誰も歩かないし。車で来て少し石畳を見て帰るだけだし、と。

    石畳についてさらに言えば。昔はわらじで歩いたであろうから、幾人もの人々に踏み固められた石の上は、ある程度平準化されていたはずだ。毎日大勢の人が歩くから、重みで道全体が締まり、石と石との間が適切な噛み合わせ位置で固まる。また表面に苔がつくこともなかっただろう。今のように、ヌルヌルの小さな岩の上を渡り歩くような感覚ではなかったはずだ。

   とにかく石畳は濡れてその上を覆う苔で滑るし、ツルツル滑る石のタイルを貼った歩道は、繁殖した苔でさらに滑るし、車道の端っこを仕方なく歩き、ときおりやって来る車の追撃に怯えながら、箱根の山を越えた。

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    静岡県側の下りは、滑落したくないので、山道を諦め、国道沿いを歩いた。神奈川県側と異なり、歩道にタイルが貼っていないので、時速百キロを越える速度でコーナーに突っ込んで来る車を、避ける必要もない。しかし、その歩道も普通の歩道ではない。誰も通らないし、整備もしないから、草ぼうぼうだ。身の丈ほどに生い茂った歩道上の草をかき分け、草に含んだ露を全身に浴びながら、霧雨の中、果てしなく終わりのない歩道を歩いた。国道は蛇行しているから、おかげで三キロも余計に歩いたことになる。

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    静岡県側はそのようなわけで、神奈川県側よりはマシではあったが、最後市内に入る手前で、ほぼ平坦な並木道が突然石畳に変わり、これには閉口した。なぜ平らな歩道の上に、ボコボコの石を並べてしまうのか。なぜ石畳なのか、ということを何も考えていない。疲れ切った足がさらにダメージを受け、市内の平坦な道に帰って来た時には、アスファルトのありがたさを足裏でしかと感じた。

    鈴鹿まではもうこのようなことはないと思うが、石畳を作れば観光客が見に来るので良い、という安易な考えは持たないで欲しい。そのようなことを考え続けた一日となった。

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箱根

箱根町立郷土資料館 - 箱根町

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三島

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東海道五十三次 Day4 平塚ー大磯ー小田原ー箱根湯本 27k

    夜中、ホテルの窓をひっきりなしに叩きつけていた雨粒も、朝起きてみると止んでいた。朝食付きなので急ぎ支度をし、食事をして、朝九時に部屋を出る。今日も天気予報は一日中雨だ。

    ホテルを出る時には止んでいた雨が、国道一号線に出た時には、ぽつりぽつりと頬を叩くようになり、平塚を出て大磯に差し掛かるころには、大きな雨粒となり、アスファルトの上を跳び跳ねる。

    海岸に近づいて来たためなのか、風も強くなる。時折突風がカサを下から巻き上げ、慌てて風の反対側に体の向きを入れ変える。ヨットの帆を裁くように。

    大磯には明治の政治家がこぞって別荘を建てたという。趣ある邸宅の門構えを東海道の隙間から、時折確認することができる。

   雨風の強い日は、考え事をする余裕もない。ただひたすら無心に濡れないように、カサを風に取られないように、風の方角に体の向きを合わせながら、ただただ足を一つずつ前へ進めることに集中する。

    そのようにしながら、それでも考えたこと。それは、その時々でコンディションは違っても、足を止めさえしなければ、少しずつ前には進む。そしていつか、考えてもみなかった遠くにまで自分を運ぶことができる、ということだ。

    新しい靴は素晴らしい成果をもたらした。昨日は常に足の痛みについて考えていた。三万九千百二十九歩、足をつくたびに激痛が走った。今日は四万一千八百二十回足を運んだが、思考が停止するほどの痛みは無かった。おそらく疲労から最後の一万歩ほどが、両足のかかとに出来たマメの存在を思い起こさせる程度で、このままでは、かかとが砕けてしまうのではないか、といった恐怖はなかった。

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    小田原の町に入る手前、酒匂川の橋の上から、小田原城天守閣がうっすらと見えた。ような気がした。あの麓まで辿り着くのだと、気を急かし、せっせと、せっせと、足を運ぶのだが、いくら近づいても城が大きく見える気配がない。そろそろ、最至近距離になるはずだと思う頃になっても、城の存在をまるで感じることはできず、結局、東海道に面した八百屋さんの店先で、通りの反対側にたまたまできた空き地と空き地の隙間から、物見櫓のような、白い塗り壁のようなものが見えただけだった。つまり、小田原城下の東海道からは、小田原城が見えない、という、悲しい事実を知ってしまった。

    恐らく、二千二百万円で販売されていた、東海道に面した3LDKマンションの、三階以上の東側の部屋からは朝日に浮かぶ小田原城は見えることだろう。しかし二千二百万円の部屋は、城とは反対側の西側の一階の部屋だと想像するので、恐らく見えない。小田原の街を半周する形で歩き通したにもかかわらず、結局、小田原城を仰いだのは、酒匂川に架かる橋の上から見えたと思った一瞬だけだった。

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    東海道新幹線のガードをくぐり 、大久保家の菩提寺の前を通る頃には、戸惑いが諦めに変わった。お墓があるということは、町が終わるということだ。小田原藩主だった、幼馴染の大久保くんのご先祖様に手を合わせ、箱根湯本へ向けて気持ちを切り替えた。

    小田原から箱根湯本に向けての道筋は、もう数え切れないほどの回数を、車で行き来しているが、東海道の本来の道筋は、一本奥の鄙びた風情ある街道筋を上る行程となっている。

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    すると、大型観光バスが群れをなして押し寄せる、巨大なかまぼこ屋さんや、コンビニや自動車販売店などと言った、極めて現代的な産業の勢いに圧されることなく、一歩一歩着実に自分の歩幅で前に進んでいくことができる。そこには明日の箱根路を予感させる山あいの音があり、自動車の掻き立てる喧騒から少し間を置いて、山肌を滑り落ちてくる、瑞々しいイオンを感じることができる。

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    車だとほんの一瞬でしかない距離を一時間半ほどもかけて、ようやく箱根湯本の駅が見えてくる。駅の反対側、左手を流れる川筋に沿って、本日泊まる宿が見えてきた。恐らく、この旅で唯一の温泉ホテルだ。

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いよいよ明日は箱根峠越え。前半の一つのクライマックスだ。温泉に入り、溜まった疲れを落とし、明日に備える。

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大磯

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小田原

東海道小田原宿 【グレゴリウス写真館】 

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東海道五十三次 Day3 戸塚ー藤沢ー平塚 22k

 

    今日は午後から関東地方で土砂降りのゲリラ豪雨の天気予報だったので、ホテルで朝食をとると、慌てて部屋を出た。

    戸塚から藤沢までは、平凡な人生そのものだ。緩やかな勾配の登りが続いたかと思うと、下り坂。何か記憶に残るモニュメントがあるわけでもなく、著しい成果が生まれる道のり、というわけでもない。人生にはありがちな、信号待ちと、幾人かとの狭い歩道でのすれ違いと、どこへ向かっているのかわからない、黙々と同じ方向へ進む人びと。

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    戸塚の市街地から大きく外れた頃、一人の女性が同じような速度で、ひたすら前に歩み続けるのが目に留まる。しばらく、つかず離れず歩いていたが、私の歩幅が大きいからだろう。やがて追いつき、信号待ちの後、前に出た。道はその後もアップダウンを繰り返す。やがて、その女性は視界から消えた。幾人もの女性が、私の前を黙々と歩き、そしてすれ違い、私は追い越して行く。日々起きる小さな偶然から生まれた結婚は奇跡だ。私を送り出してくれた妻に感謝しよう。

    雨のせいか、国道の車列は、戸塚を出発して以来、途切れることがない。上下方向とも、数珠繋ぎだ。人は車の中で何を考え、何を待っているのだろう。

    途中、雨がパラつき始める。こうしたときこそ、カサの出番だ。カッパと違ってサッと取り出し、広げることができる。それにしても、モンベルのカサの秀逸なこと。一日中雨であれば、数時間のあいだ、ずっと持ち続けることになる。それでもまるで苦にならない。軽いのだ。わずかに八十六グラム。

    カサならスマホも使いやすい。位置情報を確認しながら進むので、カッパやポンチョでは、ときどきスマホを取り出し、画面を見て、操作して、しまう、といったことがしにくい。濡らすと壊れるので、事実上出来ない。

    藤沢市内に入ると、車の動きは、徒歩の私よりも遅くなる。そして、私の足も、そろそろ痛みが増して、心なしか、地表からの引力が倍増し、花道を歩く力士のような歩き方となる。

    かれこれ数年もの間、山へ出かけたり、冬のスキー場へ出かける時、スノーシューズの代わりも務めてきた、愛着あるトレッキングシューズ。今まで、マメなど出来たことがなかった。にも関わらず、右足に四つ目が、左足に二つ目が、足裏で騒ぎを起こすようになった。今日になって、かかとにまで痛みを覚えるようになっている。

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   今日で三日目。事前の足慣らしも入れれば、四日目。自体は悪化するばかりだ。朝方、歩き始めは少し良い。今日は大丈夫かな。行けるかな。かすかに思う。しかし、予感は現実へと変わる。十キロを越えるとそろそろと主張を始める。この旅のプロジェクトマネージャーとしては、靴そのものが、旅の予定に影響を与えかねない、ボトルネックとなりつつあった。

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    藤沢市内を抜けて、しばらくすると、チャコの海岸物語が、頭の中でまわりはじめる。江ノ島だとか、茅ヶ崎だとか、道路標識を目にすると、サザンオールスターズのメロディーが、頭の中のターンテーブルの上を、くるくるまわりはじめる。サザンを鳴らすのは、ターンテーブルなのだ。同じところで、ガリッと傷が一筋入っていて、毎回同じタイミングでノイズが入る。記憶とはそんなものだ。江ノ島などまるで見えないけれど、江ノ島の文字を見ただけで、はるか昔の記憶が蘇る。

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    中学生の頃、日曜日に友達と、電車を乗り継ぎ江ノ島遠征に出かけた。海岸をぶらぶらしていると、おう、と声をかけるやつがいる。誰だ、と振り向くと、タカクラだ。干からびたネコのミイラが足元に落ちていた。

    大学生の時、ひばりが丘の駅の踏切で、黒塗りのベンツが横に止まった。やばい、と思い、見ないようにしていた。そんな時に限って窓が開き、おう、と声がかかる。げっと思いながら見ると、タカクラだ。これ塾長のベンツ。じゃあね。と言って、踏切の向こうに消えて行った。続きはまだある。

    おう、と再び聞き覚えのある声がする。振り返るとタカクラだ。子供の運動会、中学の正門前でのことだ。タカクラのお嬢さんと息子がクラスメイトだった。二度あることは三度ある、というお話。

    歩いていると、時間はたっぷりある。でも、そんなに幾つものことを考える余裕があるわけでもない。次の信号のタイミングを計ったり、雲の様子で今後の天気を予想してみたり、後ろからくる自転車に脅かされたり、おう、と突然声がかかったりする。どうでも良いことが順番に起きて、順番に解決されて、気がつくと次の街に着いている。

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    劇的なことが何一つなく起きることのない、今日という一日。もくもくと、相模川にやってきた。ここを越えると平塚。今日のお宿、平塚の宿だ。ホテルの位置を確認していると、ほど遠くない画面の右上に、ららぽーとを発見。ホテルにチェックインしたあと、ららぽーとへと向かう。午後二時。雨が少しずつ強くなってきた。

    いくつものアウトドアショップが並ぶ。某靴チェーン店は各駅停車のように、各駅ごとにあるが、専門的なトレッキングシューズは置いていない。ららぽーとにならある。確信して店内に入ると、あった。モンベル、エルエルビーン、コロンビア、スポーツ専門店、某靴チェーン店、東急ハンズ

    今履いているハイカットが非常に重いので、ローカットにした。ローカットだと捻挫する可能性があるので、サポーターも買った。防水、トレッキングシューズだけれども、クッションが効いていて、軽い。近所の駅の某靴チェーン店には売っていなかった。うちから、ららぽーとは遠い。行っている時間もなかった。なので、平塚にららぽーとがあったことは、おう、と毎回声をかけてくれるタカクラのようにありがたい。これで一つボトルネックは解消した。たぶん。と思う。

    一日の終わりに思いがけないイベントが待っていた。もっとも重要なプロジェクトの成否を決めるツールの交換。

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    明後日は箱根の峠が待っている。明日は一日中雨の予報。靴の選択が試される一日だ。

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    軌跡をたどると、色がグリーンで始まり、イエローに変わっている。これが速度を表している。歩き始めは早く歩いているが、後半速度が落ちるとイエローに変わる。これが、さらに遅くなると、レッドとなる。二十キロ程度であれば、グリーンで行きたい。速度はマメとアメの影響を受けるので、新しい靴に期待したい。E=mc2。相対性理論のようだ。

 

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藤沢

東海道藤沢宿|藤沢市

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平塚

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東海道五十三次 Day2 川崎ー神奈川(横浜)ー保土ヶ谷ー戸塚 24k

    二日目は川崎からスタート。歩き始めはマメも痛くない。一晩でだいぶ回復した。筋肉痛も無い。筋肉痛用のローションが効いているのだと思う。

    当初、真夏の七月にスタートを予定していたが、二ヶ月先伸ばして九月のスタートとなった。七月、八月と、気温四十度近い中、歩き始めていれば、まるで違う展開になっていたことだろう。

    多くのチャレンジャーが、マメについてブログに書いていた。なので、マメだけは作らないように気をつけていた。なのに、やってしまった。

    右足に三個。左足に一つ。左足はまだ痛みを覚えるほどではないが、右足は少し休むともう歩き出しができない。

    でも、一日の始まりの最初の五キロくらいは痛みもなかった。じわじわと足裏で痛みが薄く広がり、何かの衝撃で、あれっと気がつく。今日も痛いじゃん。

    生麦事件の現場手前には多くの魚屋さんが並ぶ。事件現場のその場所には個人宅の壁に生麦事件についての説明パネルが貼ってある。個人宅の塀なのに。

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    しばらく進むとキリンビールの工場があり、その片隅に生麦事件についての石碑が立てられている。ビール工場の敷地なのに。

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    横浜の手前で東海道は右に折れる。今では高層ビルが立ち並ぶ、みなとみらい地区だが、江戸時代は海だった。その名残で東海道を折れたところに洲崎神社がある。

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    そしてその先、一段と高くなった丘がJRの線路越しに見えてくる、見晴らしの良いその場所が、高島台だ。

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    江戸時代の商人、高島嘉右衛門の小説を読んだ。波乱万丈の人生を、易学の知識で乗り越えてきた。幕末の志士たちも相談に訪れている。その高島嘉右衛門が晩年を過ごす場所として選んだのが、横浜を一望できる高島台だ。

    横浜に高島という駅がある。高島さんの埋め立てた土地についた名だ。そもそも海だったところを埋め立てて横浜の街は作られた。それを始めたのが高島嘉右衛門だ。横浜の偉人ということでしか、名を聞くことはないが、ぜひその人生を描いた小説を読んでみて欲しい。勢い余って高島易学の本も買って読んではみたが、まるで内容が理解できない。預言者にはなれそうに無い。

    高島台を降りて、再び東海道へ戻る。

    しばらく歩き、横浜を大きく迂回する形で道が伸びる。その伸びきった先に現れるのが、保土ヶ谷の宿だ。保土ヶ谷と、最初に出てから、延々と保土ヶ谷が続く。保土ヶ谷宿は長い。相当な規模だ。

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    延々と続いた保土ヶ谷の宿が終わる頃、突き当たりに本陣跡が残り、そこを右折してしばらくは国道沿いを歩く。やがて、右脇にそれて、徐々に細い道となったところで、いきなり権田坂が始まる。見えるところで終わるのかと思えば、その先も上り坂が続いている。山の尾根を一直線に登る感じだ。

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    この権田坂を登りきる手前のところに、県立光陵高校がある。光陵高校から帰る生徒と、坂の残りを競い歩く。

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    流石に神奈川県を代表する進学校だ。負けず嫌いなのか、誰も彼も私を抜き去ろうとする。女子高生に抜かれっぱなしになるのは癪なので、私もマメで悲鳴をあげる右足を踏みしめ、なんとも無いかのように装い、私を抜き去った女子高生の後を追う。

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    それにしてもこの高校。東戸塚の駅からかなり遠い。保土ヶ谷側からだと、権田坂の急坂がある。どちらにしても、行きも帰りも権田坂だ。勉強を頑張れるのは、この権田坂選手権を毎日繰り返しているからでは無いか。私の遙か先を行く女子高生の背中を見ながらそう思った。

    東海道東戸塚駅の手前で左に折れ、細いのどかな田舎道へと変わる。

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    東戸塚は友人が住んでいたマンションのある駅だ。東戸塚のパークタワーに住んでいたが、高く売れたと喜んでいた。

    しかし、こののどかな風景のどこにパークタワーがあるのかと、思っていたら、品濃坂の一里塚を越えたところで、突然摩天楼が目に飛び込んできた。

    その麓には、イオンの看板も見える。ある日、突然、山に巨大な隕石が落ちてきて、四つの巨大なマンションとイオンと東戸塚駅に姿を変えた。そんな感じだ。

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    その友人は、今は隣駅の戸塚に住んでいる。戸塚は今日のゴールだ。今晩このあと会うのだが、これを書いている今、新橋から電車に乗ると連絡が来た。三十五分で着くそうだ。私は二日もかけて歩いて来たのに。

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    友人とお茶して帰ってきた。駅で待っている間、来たことがあるような気がした。明治学院大学のキャンパスがここにあると聞いて、明学の入学試験を受けに来たことを思い出した。三十数年前の話だ。そんな前からこんなだったかな、と聞くのはやめた。そんなわけはないので。当時はもっと地味だった。

    江戸時代、男の人は、一日目の宿を戸塚にとったそうだ。二日かけて歩いた実感としては、一日四十キロ歩行はかなり厳しい。

    筋肉痛は問題なさそうだが、足のマメが気になる。明日の朝までに回復することを願うばかりだ。

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神奈川 

神奈川の旧東海道 - 神奈川県ホームページ

横浜市 神奈川区 神奈川区役所ホームページ 神奈川宿の紹介

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保土ヶ谷

横浜市 保土ケ谷区 旧東海道保土ケ谷宿 保土ケ谷宿の成り立ちと特色

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戸塚 

横浜市 戸塚区役所 旧東海道戸塚宿 

 

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東海道五十三次 Day1 日本橋ー品川ー川崎 18k

    朝九時に家を出た。長男、三男、妻と握手を交わし、最後次男と握手をし、家の鍵を閉めてもらった。家の鍵をなくすと厄介なので、持っていかないことにした。

    通勤で混んでいる時に大きなザックを持って移動するのが嫌なので、九時に出たのだが、まだそれなりに混んでいた。会社へ向かう人の群れと、そこからはみ出た自分。はみ出たいと願いながら、少し気持ち小さくなって地下鉄のシートに座っている。私は既に五十二なので、そろそろ退職しても良い年齢ではある。しかし、会社員時代の知人で未だかつてアーリーリタイアメントを実現した人が、一人もいないので、良いのかな、と不安になる。親戚や先輩には何人かいる。不動産の家賃収入や、株の運用益で、自由な生活を過ごしている。私も最低限の生活はおくれるようなポートフォリオを組んでいたのだが、現在は崩してしまい、その立て直しを考えているところだ。歩いている間、することがなければ、そんなことについても考えていこうと思っている。

    五街道の起点、日本橋の最寄駅は三越前駅だ。三越前駅で降りて階段を上ると、高速道路に貼り付けられた、日本橋の文字が目の中に飛び込んでくる。

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    日本橋までくれば、周りにツーリストが大勢いる。スマホを持って写真を撮っていたら、写真を撮りましょうか、と、欧米からの旅行者に声をかけられる。私はツーリストに見えている、ということに安心する。大きなザックを背負って、ランニングタイツを履いていれば、たしかに仕事中には見えない。

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    日本橋を出発して、京橋方面に向かって歩き始める。オリンピックを控えているからか、ここのところの好景気を反映して、新しいビルが次々と建っている。高島屋も見違えてしまうほど身綺麗だ。目の前の歩道も白く幅広い。

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    BMWの本社は東京駅八重洲口の駅前にある。八重洲側にあるのに住所は丸の内なのだ。以前勤めていたときは、高島屋の前の丸善に寄り、そこから東海道を京橋までぐるりと歩くことを日課としていた。でも、当時はここが東海道だなんて考えたこともなかった。

   銀座通りを東海道と考えて歩いている人は、ほとんどいない。京橋を越えて銀座に入ると、テンポよく直進することが難しくなる。観光客がスマホを見ながら直進してくるので、左右に避けなければならない。重荷を背負って右左に体重を移動すると、マメに重力が集中して痛い。

    心配性から、靴の中敷をより柔らかいものに変えたのは良いが、おそらくそれが原因でマメが出来た。新しい中敷が滑るので、靴下の裏にゴムがついたものを買ったが、その足底のでっぱりで、マメが余計に膨らんだ。今まで全く問題がなかったのに、余計なことをして、問題が起きる。自分の定番、というものを作ったら、あまり変えない方が良いのかも。でも、工夫、新しいことへの挑戦をしなくなれば、それも問題だ。失敗してもそこから学べば良い、と、そんなことを考えているうちに、新橋を通過する。

    お昼前の時間で、歩いている人も少なく、浜松町辺りまでは黙々と歩く。父の墓が増上寺の門前にあるので、立ち寄る。私も死んだらこのお墓に入る。私の人生のゴールはここと決まっていると、気が楽だ。これから先色々あるだろうけれど、最後はここに入る。父は四男だったので、墓がなく、このお墓は私が探して決めた。東海道五十三次で言えば、ここが私の三条大橋だ。

    六十を過ぎても働きたい人が多勢のようだが、いったいいつまで生きるつもりなのだろう。百歳まで生きる人は増えるとは思うが、その前で死んでしまう人も、かなりいるはずだ。生きているうちにやりたかったことはしないと。今はこの東海道を歩ききりたい。その目標に集中している。

    お墓まいりをすませると、再び東海道。この辺りは三年前まで住んでいたときの地元なので、新鮮味が全くない。東京に住んでいる限り日本橋から品川辺りまでは、ちょくちょく訪れる地域だろう。高輪の大木戸までが江戸、というのも、感覚的によくわかる。

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    品川駅前を過ぎてしばらくすると御殿山。そこから旧東海道北品川の宿が始まる。ここから先は品川シーサイドにあるイオンへ行く時によく自転車で通った。おまけに先月まで、通勤していた。なので北品川の踏切は毎朝車窓から眺めていた時と同じ風景だ。

    ちょうどランチタイムだったので、会社の人と会うかな、と思わないこともないけれど、そんなこともなく、黙々と歩く。よく通っていたお蕎麦屋さんが潰れて、その後に中華料理屋さんが店を開いていた。

    鈴ヶ森の処刑場の手前、品川区民公園のベンチに腰掛け、痛みが増してきた足のマメを見てみる。幸いそれほど水は溜まっていないようだ。もってきた針をブスっと刺してみるが、何も出てこない。なんだか損した気分。右足だけ、他にもいくつかマメができている。一ヶ所出来ると、そこをかばうような歩き方になり、他の箇所が当たるようになる。

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    公園のベンチに座りながら、そういえば、しながわ水族館に子供達を連れてきたな、と思い出す。すっかり綺麗になっていたのですぐに気づかなかったが、このベンチのあたりに自転車を止めて公園の中に入った。当時小学生だった子がもう大学生だ。思いがけないところで、記憶が蘇る。

    鈴ヶ森刑場の先は川崎に向かってまっすぐに伸びる国道だ。羽田空港まで家族で自転車で行った時に通った道だ。九月中旬なので、日陰に入れば涼しいが、太陽の直射光を浴びて歩いていると、熱中症になりそうだ。昨日長男がモンベルの帽子をくれたので、それをかぶってきたから良いが、これがなかったら、日焼けして熱中症になって、ダウンしていたかもしれない。f:id:arisugawag:20180918213811j:image

    マメの痛みを避けるように足のつき方を工夫しながら歩いていると、前方に橋へと向かう坂道が見えてきた。多摩川だ。多摩川より先へは、自転車ででも行ったことはない。いよいよこれから本当の未知への旅路が始まる。

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    多摩川を渡り右手の川崎駅方面に旧東海道は伸びていく。しばらく一緒だった国道から分かれ、川崎宿へと入っていく。東海道かわさき宿交流館、というものがあり、その中を見学することを楽しみにしていたのだが、祝日の翌日で休館日だった。残念。でも、身体中汗まみれで、この状態で見学することは、あまり現実的では無かったと、後から思う。

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    初日は少し短めの十八キロとしたつもりだったが、実際には二十三キロ歩いた。お墓参りでの遠回りは、一キロもないと思うが、少しずつロスしているのだろう。

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    初日を終えての感想。歩き旅は、歩くことこそが第一の目的になる。旅行中、博物館のような場所を訪れることが好きなのだが、そうした余裕は無い。どちらかと言うと、マラソン大会に出ているときのような気分だ。今日は距離が短かったことはあるが、途中で固形物を食べたいと思わなかった。コンビニでスポーツゼリーと飲料を買って飲んだだけだ。これが四十キロになった時にどうなるのか。まだわからない。しばらくは二十数キロの歩きが続く。その中で、昼食の取り方が決まってくるだろう。また歩き方も慣れてくれば変わってくるだろう。

    ホテルに入り、まずは洗濯。少し横になって、その後、焼肉店。隣のコンビニで明日の朝の食事を購入。そしてブログのアップ。しばらくこの生活が続く。

 

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日本橋

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品川

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 川崎

ご利用案内 | 東海道かわさき宿交流館

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東海道五十三次 Day0 江戸 出発直前

  出発直前。いよいよ出発の時が来た。ぼんやりと構えていたが、準備は大丈夫だろうか。

 一番心配なのは、体力。歩けなくなることへの心配。一日四十キロ歩くことへの心配ではない。連日歩き続けることへの心配だ。心の何処かで、大変だったらやめれば良い、と思う気持ちが少しある。でも、やりきるつもりでいないと、おそらく出来ないだろう。今は新幹線もあるので、いつでも帰ろうと思えば帰ることが出来てしまう。江戸時代であれば、一度でかけたら、二度と帰って来ることが出来ない可能性もあったわけだから、覚悟が違う。とは言え、思い詰めてすることは、無理につながるので避けたい。ゆるい覚悟で始めたい。

 でかけている間にしなければならないことの手配は済んだ。妻と子供たちとは、ラインで繋がっているから、連絡しようと思えばいつでもできる。困りごとの相談もできる。銀行送金もネットバンキングで自在にできる。江戸時代の旅人と比べれば、超能力を持つ旅人のようだ。

 台風シーズンなので、ポンチョではなく、山用のレインスーツの上下を入れる。ポンチョだと風が吹き上げると、中が濡れてしまう。既に夏の盛りは過ぎたので、着て歩けないことはない、という判断だ。そう考えていたのだが、ザックに入らない。二十五リットルのザックは山用で考えると日帰りサイズだ。もっと荷物を減らさないと。

 迷った結果、カサだけ持つことにした。私のものは八百グラムもある。降るかどうかわからない台風のために、レインスーツを持ち歩くことはやめた。

 往きだけ歩いて、帰りは新幹線というのは、どうなのだろう、と、ふと思った。古の旅人は、往復とも歩いたはずだ。十七日かけて歩いた距離を、三時間でワープするなんて、いいのだろうか。そう思って、帰り道、中山道はどうだろうと思い調べてみた。

 幕末、和宮徳川家茂との結婚のために、江戸へ来る時に使ったルートは中山道だ。新幹線に沿って、琵琶湖を北上し、関ヶ原を通り、恵那から木曽山中へ入る。名古屋から東名高速と分かれた中央高速が走る、さらに北側の狭い谷筋を通る。

 東海道のように、ビジネスホテルが建ち並ぶ地域ではない。木曽山中は、トレッキングコースのようなものだ。高速道路が通る飯田、駒ヶ根、伊那、高遠のような開けた道ではない。ホテルと言うよりは、民宿を泊まり歩くことになるのだろう。しかし、山好きとしては、町中を歩き続ける東海道よりは、ずっと楽しめると思う。

 まずは、東海道。京都まで無事に予定通り歩けることを祈る。三日で足が痛くなって諦める、ということにはなりたくない。

 準備はした。あとは歩くだけ。

 旅の直前。いろいろな思いが浮かんでは消える。

 

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東海道五十三次 Day-1 直前準備

    出発用の荷物の準備が出来たので、背負って試しに都内を二十五キロ歩いてみた。愕然とした。重くて歩けない。重さは九キロに増えていた。水も一リットル持ったので、合計十キロくらいか。富士山や八ヶ岳を登ったときには、さらにガスストーブ、そのためのカートリッジや食料品も持っていたから、もっと重かったはず。でも、今の私の体は、十キロの重さの荷重には耐えられなくなっている。子供たちよりも二十キロも重い体を毎日動かしているのに、妙なものだ。

     幸い妻にも来てもらっていたので、重すぎる持たなくても何とかなりそうな分は、ザックから抜いて、妻のデイパックに移した。

    持ってもらったのは、ガイドブック、雨具、水、バッテリー。事前にはかりで測ってみたときは、ガイドブックが七百グラム。雨具が八百グラム。バッテリーが四百五十グラム。水が五百CC。これらを持ってもらって、ようやくなんとか歩けるくらいの重さだ。直前にもなってさあ困った。

     東海道五十三次歩きも、通しで歩くとなると、いろいろと荷物が増える。週末や休みを利用して、距離を伸ばしていく場合は、荷物も少なく済むだろう。しかし、連日歩く場合、洗濯ができないこともあると考えれば、着替えなどがどうしても必要になる。

     しかし、荷物が増えすぎて、疲れて予定が狂うようでは困る。小さなものまで、グラムを計り直してみた。

    下着を減らし、雨具はかさだけにし、ポンチョの代わりに、防水スプレーをかけたウィンドブレイカーに変えた。

    細かくグラム単位で調整した結果、五キロちょっとにまで減量することが出来た。

    一番困るのは本だが、必要なページをスマホで撮影して持っていくことにした。早くキンドル版を出して欲しい。電子書籍なら、重さが関係なくなる。東海道に加えて、中山道も持って行こうとしたので、かなり重くなってしまった。

    困ったのが、足のマメだ。足の裏に滑り止めのゴムが付いている五本指ソックスを買ってみたのだが、かえってそれが原因でマメができてしまった。インナーソールもオリジナルに戻した。靴下はいつものやつで行く。

    いよいよ出発だ。あとは全て現地調達。なるようになる。こんなことが楽しめる、今の環境を幸せに思う。

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東海道五十三次 12 準備 体力 減量 トレーニング アミノバイタル

    東海道を歩こうと思ってから、最初に始めたのは、減量。昨年までは、体重が八十キロ前後を行ったり来たりしていたのが、今年になってから、右肩上がり。下がって欲しいのに上がる一方。八十八キロにまで上昇し、このままだと九十キロを越えてしまうと、危機感が芽生えた。

    一日一食を始めたのも東海道五十三次を意識し始めたのがきっかけ。目的と目標があれば、人は意志の力を使うことができることを実感。一ヶ月で七キロ減らすことができた。

    朝食と昼食を抜いてきたが、最近足踏み状態。そこで夜のお酒を止めることとした。するとすこぶる調子が良い。夜中に目が覚めなくなった。朝までぐっすりと眠れるようになった。しかし、それが体重に反映されるというものでもない。ここしばらくは、横ばいが続いている。

     体重を減らしながら、ジョギングを再開しようとした。しかし、体が動かない。ここ一年半ほど毎朝七時に出かける遠距離通勤生活であったため、それまでの日課だった毎朝五キロのジョギングが出来なくなった。代わりにすぐ近くの公園まで往復一キロ走って鉄棒で腕立て伏せをしてきたが、まるで効果がなかったようだ。走り出して二キロを過ぎると、もう走れなくなる。二年前には軽井沢のハーフマラソンにも出ていた。それまで四年連続で出てきたが、昨年は練習ができなかったので、出場しなかった。目標が無いと具体的な努力につながらない。

    走れない代わりに、毎日十キロを歩くことは目標にしてきた。帰り道で遠回りをしたり、途中の駅から歩いてみたり、ほぼ毎日十キロは歩いてきた。

    なので、二十キロ、四十キロを歩くことは、その二倍、四倍だからどうということはないと、軽く考えていたが、いざ続けて歩いてみると、これがなかなか辛い。その日はなんとか四十キロ歩けても、翌日筋肉痛に見舞われる。つい三年前にはフルマラソンにも出場していたのに、五十路の体力は右肩下がりに落ちて行く。体重は右肩上がり、体力は右肩下がりで、ダブルパンチだ。

    それでもここのところの週末で、二十キロ、四十キロと連続して歩いているうちに、徐々に体力が戻りつつある。その手応えはある。あとは、本番で体を慣らしていく。神奈川県内、最初の一週間は一日二十キロペース。静岡県に入ってからは、三十キロから四十キロのペースにあげる。毎日歩いていると、ふくらはぎや太ももが張ってくるので、湿布ぐすりと、サポーターでしっかりとケアする予定。状況に応じてランニングタイツも履いて、予定の十八日間を無事に歩き続けたい。

    マラソン大会に出るときは、アミノバイタルをポケットにいくつか入れて走っていた。ここのところドラッグストアへ行っても、目にも入らなかったが、ふと思いついて、一箱買ってきた。これはお守り代わり。疲れを感じたら、これを一袋口に含む。すると不思議と元気が出る。チョコレートのようなお菓子も良いが、そのために設計されている製品は体の疲労を見事に薄めてくれる。

アミノバイタル 30本入箱

アミノバイタル 30本入箱

 

    いよいよ東海道を歩き始める。小学生の頃、弥次喜多道中のお話を社会科の時間に聞いて以来、本当に歩くのだ。歩けるのかな。今は不安でいっぱいだが、今までもやりたいと思ったことはやってきた。これまでも何とかなってきたから、きっと今回も大丈夫。運だけは良いので、きっとうまくいく。今は久しぶりに、ただただわくわくしている。

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東海道五十三次 11 準備 情報収集 地図 ナビゲーション

 情報収集はネットを使ってするにせよ、いざ頼りになるものは何か。

 ネットでの情報は読み切れないほどある。自分で検索して、自分の歩き方に合いそうな先人を探してみて欲しい。

 ここではアプリと本を紹介する。

 

グーグルマップ 

 Gmailを利用して、楽天トラベルで予約したホテルの宿泊予約確認メールを受信すると、予約したホテルの予約内容が、グーグル・マップ上に宿泊日付とともに表示される。疲れ果てて、宿泊地に到着したとき、グーグルマップを開いてルート検索すれば、知らない街でも道を間違えずにホテルまで辿り着けそうだ。

Google マップ -  乗換案内 & グルメ

Google マップ - 乗換案内 & グルメ

  • Google, Inc.
  • ナビゲーション
  • 無料

 ios マップ

 アップルの標準マップも、最近は改良されているそうなので、併用するのも良いかもしれない。地図上、場所によっては、旧東海道の表示が入っている箇所もあり、ルートを確認するときには、グーグルマップよりも便利かもしれない。

www.apple.com

 

アプリ

 アップストアでアプリを検索してみると、「東海道五十三次」というグランドベース社製のものが見つかった。四百八十円するが、早速インストールした。

 アプリなら、GPSで自分の居場所を地図上に重ねることができるので、歩いている時にルートを間違える心配がない。旧東海道は国道一号線とくっついたり離れたりしているので、可能な限り旧街道を歩きたいと考えている人には、必要不可欠なアプリだ。実際歩いているときに、本を取り出したりしまったりするのは大変。スマホの画面を見ていれば、GPSで自分の位置確認のできるアプリがあることは安心だ。できる限り忠実に旧東海道を歩きたい人には、大変役に立つ。

東海道五十三次

東海道五十三次

  • GROUND-BASE INC
  • ナビゲーション
  • ¥480

 

 歩いているときには、アプリが役に立つが、出発前、事前に調べるなら、やはり紙の本がじっくりと読みやすい。 

 まず何はさておき入手したいのは、

「決定版 東海道五十三次ガイド」

著者 東海道ネットワークの会21

講談社アルファ文庫)

 見どころが詰め込まれているので、気になるところにマーカーで色付けしておけば、現地で忘れずにその場所を訪れることができるだろう。サイズも文庫本サイズで持ち運びしやすい。地図が少し引いたサイズなので、俯瞰したルートの全体像が見渡しやすい。ただ引いている分、詳細な記載はなく、いざ現地へ行ったときにこれでわかるか、多少心配なところはある。

 私は古本で購入したが、これが結構良かった。なぜなら、前の持ち主が、いろいろとメモを残してくれていたからだ。たいていの場合は、新品に近いものが欲しいと思うだろうが、この手の資料の場合、先人が記録してくれたメモが、いろいろと自分自身が計画を立てるにあたっての、手がかりとなってくる。従って、新品でなくても良い気がする。ただ、本の作者の立場としては、新品を買って欲しい。印税が入る事によって、今後も増刷されると思うからだ。古本も印税を取るようにすれば良いのにと思う。

新版・完全 「東海道五十三次」 ガイド (講談社+α文庫)

新版・完全 「東海道五十三次」 ガイド (講談社+α文庫)

 

 もう一つ購入したのが、

「ちゃんと歩ける 東海道五十三次

著者 五街道ウォーク・八木牧夫

山と渓谷社)だ。

 これは、袋井を境に、江戸寄りの「東」編と、京都寄りの「西」編に分けてある。新品で購入した。

 この本には、ルート上の案内が詳細に書かれている。実際に東海道を歩いている時に、本の記載内容と照らし合わせながら歩いていくと、間違えないで歩けると思う。しかし、課題もあり、ルートを線で追いかけていると、全体のどこを見ているのかがわからなくなる。細部と全体像を交互に見比べないと、実際のルートはわかりにくい。

 この本の詳細な記述のある地図を、実際にその場へ持って行けば、すぐに場所が判別できるのかもしれない。しかし、ホテルなどで、事前に翌日のルートの全体像を見たいときなどには、これだけでは少しもの足りない。

 帯に短し襷に長し、ということで、結局この二つを組み合わせて交互に見る、ということが正しい使い方になりそうだ。

ちゃんと歩ける 東海道五十三次 西 袋井宿~京三条大橋

ちゃんと歩ける 東海道五十三次 西 袋井宿~京三条大橋

 
ちゃんと歩ける 東海道五十三次 東 江戸日本橋~袋井宿

ちゃんと歩ける 東海道五十三次 東 江戸日本橋~袋井宿

 

 ただし、スマホを使う人なら、このどちらかで良いだろう。カーナビが発明されて以降、地図を見ながら車の運転をする人がいなくなった。「東海道五十三次」のアプリをスマホにインストールしてしまえば、ナビ代わりの地図はもう不要だ。

 となると、必要なのは、スマホのバックアップと、予備バッテリーの確保か。本を減らしても、バッテリーを持っていくと、結局軽量化にはつながらないが、全体としてはプラスだろう。

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東海道五十三次 9−3 準備 スケジュール 浜松ー吉田(豊橋)ー岡崎ー宮(熱田神宮)〜船〜(桑名)ー四日市ー亀山ー水口ー草津ー三条大橋

 浜松から先、浜名湖沿いを歩く。浜名湖弁天島を渡った先の新居宿に関所の資料館があり、そこを訪ねることを楽しみにしている。しかしながら、浜松から豊橋(吉田)までは三十五キロ。時速五キロでも七時間はかかる。朝八時に出て、歩きづめで午後三時。ちょっと関所を見学して、休憩すると五時過ぎになってしまう。明るいうちに次の宿へはたどり着きたい。二川の先は、江戸道中記で、夜道慎むべし、と注意喚起されていたらしく、今でもなにもないところだという。

 豊橋から岡崎は二十八キロ。岡崎は名古屋から電車で訪れたことがある。徳川家康が生まれた岡崎城の城下町だ。できればお城の資料館も訪れてみたい。確か、東海道岡崎宿についての資料が掲示されていたように思う。掛川もそうだが、お城の資料館は資料が充実しており、出来れば各地で見ておきたい。

 岡崎の次は宮。宮とは何かと思ったら、熱田神宮があるから宮。熱田神宮も名古屋に泊まったときに電車で訪れたことがある。

 信長が桶狭間の戦いの前に、必勝祈願をして勝利を収めたという熱田神宮。その信長が奉納したという塀が残っている。前回は夜になる直前の暗闇のなか訪れた。暗闇に包まれた境内で、ひとり四百数十年前に建てられた塀を眺め、信長に思いを馳せた。今回はどうなることか。

 江戸時代、熱田神宮から先は船で渡ったそうだ。木曽川揖斐川長良川など、濃尾平野にいくつもの川筋があり、これらの川は氾濫することで有名だ。なので、船で渡ることが一般的だったのだろう。

 次の宿の桑名まで、今では国道がある。熱田神宮から桑名を経由して、四日市までの距離は四十キロ。歩くつもりだが、この間を日程調整用のバッファーとして考えている。日本橋から熱田神宮までの間に、なにかハプニングがあったときには、ここを電車で移動して、日程調整をしようかと考えている。熱田神宮から対岸の船着き場の桑名まで、電車なら一時間もかからない。でもこれは、あくまでもリスクマネジメントで言うところの、バックアッププランだ。できればこの間も歩きたい。 

 四日市から亀山までは二十二キロ。亀山と聞くと、液晶テレビパネルを生産していたシャープの亀山工場を思い浮かべる。鈴鹿峠手前の宿場町の近くにあったとは。今回はじめて知った。

 亀山から水口まで三十二キロ。箱根に次ぐ峠越えだ。

 鈴鹿峠を越えるルートを通るのは初めてだ。完全に未知の世界だ。このあたりの言葉は、名古屋の言葉なのか、関西の言葉なのか。

 今まで名古屋と大阪は、新幹線の通る関ヶ原経由で移動するのが一般的だと思っていた。しかし、距離で見れば、鈴鹿あたりを越えたほうが近い。道理で、本能寺の変で信長が倒れたあと、家康が堺から伊賀越えで、三河まで帰った訳だ。

 伊賀、甲賀の近くを通るので、忍者に関する資料館などを覗いてみたいが、ルートからはかなり外れる。従って、今回はパス。東海道が整備される前は、鈴鹿峠よりも南側に峠越えのルートがあったようだ。

 水口から草津が二十六キロ。草津から京都三条大橋までが二十六キロ。四日市から京都までは、百キロほどしかない。関東に住んでいる者からすると、案外近くに感じる。

 全行程でホテルを予約した。予定通りにつかないと、毎晩すべての予定を変更しなければならない。京都は中級ホテルが少なく、ターゲットとしているホテルが取りにくい。予定通りに行かないと、結構面倒だ。全ては自分の足次第。

 さてどうなることやら。

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東海道五十三次 9−2 準備 スケジュール 三島ー吉原(新富士)ー府中(静岡)ー島田(大井川)ー掛川ー浜松

 下調べを始めて、最初に戸惑うのは地名だ。吉原、と言われてどこだかわかるだろうか。江戸の吉原を思い浮かべる人が大半だろう。吉原は、富士市の海沿いにある。

 江尻、府中もわからない。江尻は清水のことで、府中は静岡だ。東京の人なら、府中と言えば運転免許試験場だ。静岡などとは思わない。

 江戸時代の記録を見てみると、この間、沼津、江尻、金谷、浜松と泊まった記録がある。金谷は大井川の西側の宿だ。京都から江戸へ向けての記録だったかもしれないが、いずれにしろ、これくらいの間隔で泊まり歩いていたようだ。

 私は、三島、吉原(新富士)、府中(静岡)、島田(大井川)、掛川、浜松とした。二箇所も多い。三島と新富士が三十キロ。新富士と静岡が三十九キロ。静岡と島田が二十九キロ。島田と掛川が十七キロ。掛川と浜松が三十二キロとなっている。こう書くと、それほどサボっている感じはしない。

 泊まる場所は、ホテル事情に左右される。日本橋から箱根湯本までは、一日二十キロペースだったが、三島から一日三十キロペースに上げてみた。三島のあと、清水と静岡で迷ったが、静岡のほうが安いホテルが取れたので、そちらにした。

 静岡のあと次にホテルが取りやすい街は、工場の多い掛川になるが、そこまで歩くと四十七キロにもなる。途中どこかで泊まるところを探していたら、大井川の手前、島田に宿が見つかった。

 島田と金谷の間には大井川が流れている。江戸時代、大雨が降れば「越すに越されぬ大井川」となり、旅人は何日も足止めされたはずだ。資料館があるようなので、よく見てみたい。今では橋がかかり、何も考えずに渡れる大井川。足止めされた旅人の気持ちを、一晩、想像しながら味わってみたいと思う。

 掛川の次は浜松。この間三十二キロ。ちょうどよい距離と思う。

 実は、浜松は年に数回は訪れる。ここから山の方、すこし入ったところに祖父の墓がある。車で来るので、このあたりまでは時々したみちをドライブしながら走ることがある。なので、土地感もある。

 しかし、ここから先はよくわからない。車や新幹線では訪れたことはある。しかし、点として、知っているだけだ。線として、連続する風景の変遷をたどったことはない。 

 ここから先のスケジュールは、決めてはみたものの、まるで知らない世界。行ってみないことにはわからない。

 さてどうなることやら。

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東海道五十三次 9−1 準備 スケジュール 日本橋ー川崎ー戸塚ー平塚ー小田原ー三島

 東海道五十三次。ルートは決まっているが、どの宿場で泊まるかは悩ましい。江戸時代は一日十里歩いたというから、約四十キロ。とは言え、江戸時代の宿場町と同じ箇所に、ホテルが建ち並んでいるとは限らない。ひと通り調べてみて、なんとなくどこに何があるのかがわかってきた。はじめは全く分からなかったので、このあたり、これから調べようという人には、わかってきた感覚については、お伝えしたほうが良いだろう。

 まずは箱根を越えて三島まで。

 日本橋までどのように出るかで、初日のスケジュールは決まる。都内に住んでいる人なら、朝早くの出発も可能だろう。隣県からなら前泊か、もしくは昼ころの出発か。

 通勤ラッシュは避けたい。日本橋から新橋、田町、品川あたりにかけて、朝の八時台の歩道はサラリーマンで溢れている。流れと逆方向に歩くときは、かなりの抵抗を感じると思う。

 おおよその距離感としては、日本橋から川崎までが十八キロ。川崎から戸塚までが二十四キロ。戸塚から平塚までが二十二キロ。平塚から小田原までが十九キロ。小田原から箱根湯本までが六キロとなる。

 「お江戸日本橋七つ立ち」は、午前四時。と言っても、朝の四時出発は非現実的。日本橋から品川までの通勤ラッシュを避ける上では、朝六時が出発時刻としては、良いところ。すると八時までには品川を抜けて、朝のラッシュ時間に揉まれることはないと思う。これが土日出発なら、通勤ラッシュについては、気にしなくても良い。

 私は都内に住んではいるものの、日本橋まではおよそ一時間半の西のハズレ。ラッシュの終わった九時過ぎに家を出て、日本橋は十時半ころのスタート。江戸時代の旅人は、初日に戸塚まで行ったようだが、私は川崎泊まりを考えている。川崎だと家まで帰っても良い距離だが、それでは五十三次を通す意味がないので、川崎に泊まる。

 フルマラソンに出ているような方は、初日から十里(四十キロ)を歩き始めても問題ない。私はここ二年ハーフマラソンも走れない状態にまでなっているので、大体二十キロずつ。戸塚、平塚と、短く歩くプランを立ててみた。実際のところ、ホテルは、川崎、横浜には十分にあるが、戸塚はホテルがほとんどない。体力があれば、日本橋から戸塚まで一日で歩き、戸塚から小田原まで二日目に歩けば、江戸時代の人と同じペースで歩けることになる。その場合、日本橋は早朝六時に発つのが良いだろう。

 最初の山場は、箱根。小田原から箱根の関所を経て三島まで、三十一キロ。当初、三島のホテルが週末の混雑のため予約できず、沼津でしか予約が取れなかった。すると小田原から沼津まで三十七キロ。「箱根八里は馬でも越すが・・・」と言うけれど、峠越えで、かつ、歩行距離が山道で十里にもなってしまう。とりあえず対策をいろいろと考えてみたが、箱根湯本に泊まることを思いついた。これで六キロ節約できる。湯本なので温泉も楽しめる。

 一週間前に確認したところ、三島でもホテルの予約が取れることがわかった。予約は一度試してだめなところでも、時間をおいて試すと、キャンセルなどが出て、取れる場合もあるようだ。なので、初めはキャンセル料がかからないところで予約をしていくことが重要だ。

 平塚から箱根湯本が二十五キロ。箱根湯本から三島が二十五キロ。理想的なプランとなった。

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東海道五十三次 8 準備 旅グッズ

 持ち物は最小限にするつもりだが、現地調達が難しいものは持っていかざるを得ない。また日頃使い慣れている相棒のような小物もある。一番は、アップルウォッチだ。 

アップルウォッチ

 今は、2を経て、アップルウォッチ3を使用している。セルラーモデルではない、GPS付きのものだ。これはもはやスマホ以上に手放せない。Iphoneは常に携帯しているのだが、バッグなどにしまったままでも、とりあえずアップルウォッチを手首に巻いていれば困らない。

 買い物も、スイカ、ID、クイックペイが使用できるところであれば、現金いらず。小銭を使用するお店では、手首をセンサーにかざして支払い完了とする。町中を歩いているときに、コンビニを見つけ、飲み物を買って支払うのに、ザックを下ろして財布を出して、となると、かなり面倒だ。

 スイカが入っているので、京都からの帰りのきっぷもアップルウォッチのスイカの中に収まった。手首をかざせば、新幹線に乗って東京まで帰ってこられるようだ。JRのウェブサービスである、スマートEXで予約をすれば、割引料金が適用されるということで、かなり安くなった。 

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モバイルバッテリー

 どうしようかと悩んでいるのがバッテリーだ。基本的に毎日ホテルに泊まるので、スマホの充電ができないということはない。しかし一方で、朝起きてみたら思いがけず充電ができていなかったということは、たまにある。せっかくの旅行で、ある一日だけ記録が取れない、などということは避けたい。スマホ二台分くらい充電できる小型バッテリーは持っている。しかし、先日プラハへ行ったときに、息子が持ち歩いていた大型バッテリーが現地でたいへん役に立った。そこで買ってみた。

 重い。わかっていたが、重い。心配が膨らむと荷物が増える。重くなる。まさにその法則を実感できる。ロングトレイルをするときには重宝すると思うけれど、東海道歩きに必要か。

 結局、東海道五十三次のアプリを使って歩くことにした。すると常時モニターを見ながらということになるので、おそらくスマホのバッテリーが一日もたない。なので、モバイルバッテリーは必需品ということになった。なので大容量のタイプを持っていくことにした。

  

コンタクトレンズ

 目が悪いのでコンタクトレンズは必需品だ。度数が合わないと使用できないので、出発前に確保した。最近「生感覚レンズ」などと評して広告を出している、アルコンのデイリーズトータルワンをここ最近愛用している。それまで使用していたジョンソンアンドジョンソンのアキュビューと比べて、乾きにくさが比較にならない。長年コンタクトを使用してきたせいか、アキュビューの場合、朝からつけると、三時過ぎには外したくなる。しかし、トータルワンは、朝から寝るまで、一日ずっとつけていられる。ちょっとお高いが、使用時間を考えると、お値段に比例するのではないか。

 また、外すときも既存のタイプは目に張り付いたのを無理やり剥がすような感じになる。とても目に悪そうだ。しかし、トータルワンは、一日中つけていても、夜になってもヌルヌルしており、目に優しそうな感じがする。もう昔のレンズには戻れない、という感じだ。 

 

 メガネ

 とは言え、コンタクトだけでは生活できない。ホテルの中では眼鏡になるし、朝出発までの間は、可能な限りメガネで過ごしたい。予備も入れて二本持っていく予定だ。

 

 自撮り棒

 日頃、自撮り棒なるものを使うことはないが、せっかくなので使ってみようかと考えている。おじさんが一人で歩くので、撮りたいときに、いちいち周囲の人に写真をお願いするのも気が引ける。自分で腕を伸ばして自撮りすることはもちろんできるのだが、顔がアップになってしまうので、あまり使える写真にならない。ある程度距離をおいて背景と一緒に自分を写そうと思えば、自撮り棒が必要になってくる。購入したものは、動画もスチールも手元のボタンでシャッターが切れるので、セルフタイマーをいちいちセットする必要もない。荷物にはなるが、写真はきれいに取れることだろう。 

 

 サンダル

 トレッキングシューズを一日中履いて歩くので、ホテルに入ったあとは、楽な靴で過ごしたい。そうするとサンダルとなる。クロックスのような柔らかいものが良いと思うが、ごついと荷物になる。海外旅行のときには、ホテルに置かれている薄い使い捨てのスリッパをそのままもらって、各地でそれを使い続ける。しかし屋外でも使用できるものとなると百円ショップで売っているビニールのサンダルが良いと思う。

 スケッチャーズの軽いスリッパのようにも履けるシューズも良い。トレッキングシューズで行く場合には、ホテル到着後、靴としても履けるので、便利かもしれない。このどちらかを持っていく。

 

 ライト、反射板

 百円ショップで買えるものをいくつか揃える。基本的に明るいうちに移動して、明るいうちに宿へ入る予定なので、予定が狂ったときに、それを開けて使うということになる。百円ショップのものは、あまり物持ちしないと思うが、壊れる前に、次の街でまた手に入れようと思う。日本国内ならそれが可能だ。 

 心配の数だけ持ち物が増える。なくても良いものは持っていかない。最終的には現地調達。そう考えて最終的には決める。

 

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東海道五十三次 10 準備 旅の予算

 日本橋を出発して、京都三条大橋まで十七泊。京都に二泊。十七泊の平均が五千円くらい。下が四千円。上が八千円。京都は二泊で二万円。京都は十月の三連休なので、ちょっと高い。合わせて十九泊全部で十一万円くらい。

 ホテルはすべてバスとトイレ付きのビジネスホテル。相部屋のドミトリーなどを利用すれば、もっと安くできる。ネットカフェや温泉施設の休憩コースなどを利用すればさらに安くできるようだ。ネットで見ていると、一晩泊まって、だいたい二千円前後のようす。

 しかし、風呂が好きなときに入れないし、疲れも取れないだろうし、洗濯も難しそうだ。五十すぎのおじさんは、旅の途中、きっと惨めな気分になることだろう。旅の道中は楽しく快適に過ごしたい。なので全てビジネスホテルにした。それに、四千円のホテルなら一日千円ちょっとしか変わらない。

 特に気にして選んだわけではないが、中には朝食付きのところもある。ここのところ一日一食生活を続けてきたが、朝食がついているのに食べないのはもったいない。それに、毎日数十キロも歩くのに、食べないで歩けるとも思えない。なので、旅行中一日一食生活は中断するつもり。

 と言っても、せっかく痩せてきたので、昼食にはヴィダーインゼリーやカロリーメイトを食べて過ごすかも。ヴィダーインゼリーは、ゼリーなので、胃の中に入れば飲料とかわらないような気もする。

 各地に名物があれば、食堂にも入りたい。でも、時間と費用の節約にもつながるので、ちょっとした休憩時間に、これで済ませて歩き続けるかもしれない。

 夕食はたっぷり食べるので、二千円くらい。昼食と諸経費合わせて一日三千円以内で収めたい。ホテル代も入れて一日一万円以下で済ませるつもり。

 帰りの新幹線は、スマートEXというウェブサービスで予約した。一万八百円。

 たぶん、全予算こみこみ二十万円で足りるはず。二十日の旅行で二十万円なら、悪くない。ただ、事前にグッズをいろいろと買い込んでいるので、そちらのほうが、かえって高くついている。既にあるもので遂行するというプランを立てないと、宿代と同じくらい使い込むことになる。

 さてどうなることか。

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東海道五十三次 7 準備 お金 クレカ、デビカ、スイカ、キャッシュ、サイフ、アップルウォッチ3

  大学を卒業後、最初の就職先がアメックスだった。新入社員研修でクレジットカードとはなにか、についてかなり深い研修を受けた。

 学生時代から父の持つ住友ビザゴールドのファミリーカードを利用して海外を旅してきた。旅行中何度か危機に陥った事があったが、その都度クレジットカードに助けられてきた。なので、普通の人以上にクレジットカードは旅行に不可欠なものと認識している。

 ただ、国内旅行に限って言えば、それほどの重要性は感じていない。むしろ見た目の印象に気をつけることのほうが大切だろうと思う。

 新婚旅行で欧州を旅したときのことだ。新婚旅行ではあったが、いつもの気分でバックパック一つででかけた。夫婦揃ってバッグ一つずつ。しかし、新婚旅行ということもあり、すべて四つ星ホテルに予約を入れた。

 初日のパリのホテル。オペラ座近くの一等地に建つホテルだ。チェックインのために、手続きをしている人の後ろで待っていたが、私達のあとからやってきた初老の夫婦が先に呼ばれる。そして、そのあとも呼ばれるかと思ったが、無視される。声がかからない。仕方ないので、初老の夫婦が終わるとカウンターヘ向かいチェックインを依頼した。一瞥されながらも、ようやくチェックインできた。しかし、部屋が建物の隅っこのあまり良いとは言えない部屋だった。キーを渡してもらうことは出来たが、釈然としなかった。

 さすがに、四つ星ホテルにバックパックはまずかったかなと思い、パリの空港で少々値の張った、ブランド品の大きなカバンを購入した。バックパックは世界中を一緒に旅した大切なものなので、カバンの奥底に仕舞い込んだ。

 次の訪問地である、イタリアのフィレンツェ。ここも四つ星ホテル。ここでとんでもないことを言われた。予約はない、と言われたのだ。予約の確認書を見せてもだめだった。バッグはブランド品だったが、服装がバックパッカーに近かった。

 またかよ、と思ったが、フィレンツェのホテルは、日本のアメックス経由でようやく予約できた四つ星ホテルだ。当時はウェブで直ぐに別のホテルの予約が取れる、という環境ではない。おまけにハイシーズンでどのホテルも混んでいた。

 そうだ、と思い直し、アメックスのゴールドカードを渡して聞いた。アメックスから予約が入っているはずだから見てください、と。

 失礼、お名前がありました、と、五秒後に返事が来た。

 このような経験をしているので、クレジットカードはそのカード特有のサービスにおけるコストパフォーマンスだけではなく、そのカードを持つことによって得られる、見えないベネフィットを考えるようにしている。

 実際のところ、日本国内にいるだけなら、年会費無料のクレジットカードを二枚程度持てば、生活に困ることはない。国内旅行もそうだ。日本人同士であれば、日本語を話せば、その人がどの程度話の通じる人かはわかる。

 しかし、日本国内で、お店の人が海外からの旅行者と接したときのことを想像してみよう。出身各国では有名な銀行かもしれないが、日本に住む私達が、まるで知らない銀行のクレジットカードと、アメックスやダイナースのカードを出されたときに、どちらが安心感を持つか。これはステータスの問題ではなく、受け入れ側の安心感の問題だ。アメックスやダイナースの審査に通っているから、少なくとも踏み倒すことはないだろう、と無意識に値踏みするのではないか。

 最近はソニー銀行デビットカードを日常的に使用している。クレジットカードだと、あとから請求がくるので、管理が難しい。つい気が大きくなって、大きな買い物をしてしまう。クレジットカード会社は、そのような消費者の習性を利用して、サービスの拡大に励む。店側もそれでメリットを感じるので、カード会社に手数料を取られても導入する。

 デビットカードの場合、消費行動をすべて銀行側に知られてしまうというデメリットが有る。銀行で住宅ローンを借りようとする場合には注意が必要だ。今でも口座の中身は銀行員に見られているが、デビットカードでは、どこで買ったか、までわかってしまう。自己管理が出来ている人なら良い。しかし、少しでも問題のある消費行動を取る人の場合には、使うことはやめたほうが良い。もうすぐAIが導入され、消費性向を自動分析するようになる。入ってきた給料を、月末までに全て使ってしまうような人は、今後住宅ローンが組めなくなるかもしれない。

 現金は心理的に使いにくい。使うと減った感じが一番実感できる。持ち運びは、紙だから軽い。クレジットカードと小額紙幣を併用すれば、かなりの節約生活ができる。しかし、コインが重い。旅行中持ち歩くと負担になる。関東ではスイカが小銭代わりになるが、私の場合、最近はアップルウォッチに入れたスイカで小銭を代用している。

 サイフは、海外ではビニール袋を使用している。汚れた紙幣も多く、きれいな財布の中に臭う紙幣を混ぜてしまいたくないのだ。

 領収書をまとめてしまっておくのにも良い。コンタクトレンズを小分けして入れたり、薬入れにも使える。持っていれば使い道がいろいろある。

 国内外問わず、お金を出すところをお店で見られることは多い。お店の人は客の身なりはもちろん、意外とサイフの中からお金やカードを出すところを見ている。

 十年くらい前から、金持ちは「高級な長財布を使う」ということが書かれた本を読んで買った、ルイヴィトンの長財布を使っている。とりあえず試してみる主義なので、物は試しで買ってみた。実際のところ、その効果があったのかはわからないが、都心に買った家が思っていた以上に高く売れた。ただこのサイフ、大きいので、普段の持ち運びには不便だ。信頼を失ってはいけない仕事の関係者と、高級そうなホテルやお店に行くときだけ、お金やカードを移して使っている。

 日頃は、ビニールで出来た、フロシキシキというカード入れを使っている。これは汗や雨で濡れても中まで侵食しないので、ウォーキングやトレッキングのときに、ポケットの中へ入れておくのにちょうどよい。

フロシキシキ カードケース (ブルー)

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 旅行中はこれらを組み合わせて使う予定だ。日本国内の場合には、何にせよ、何も問題はない。たぶん。

複業のすすめ: パラレルキャリアを生きるポートフォリオワーカーの世界

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